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この記事でシリアのことも触れるので、こんな恐ろしい記事をピックアップしてみた。
国際人権団体アムネスティー・インターナショナルが、シリアの軍事刑務所で5年の間に最大1万3000人が絞首刑で殺害されたと発表した。
処刑された人の多くは、アサド政権に抵抗する民間人だという。
裁判はおこなわれるけれど、判決はすべて「有罪」だったらしい。
BBCの記事(2017年02月7日)から。
報告書によると、「有罪」となった収容者たちは刑執行の当日、民間人用の刑務所に連れていくと言われた後、地下牢に入れられ、2~3時間にわたり殴打され続けるという。
さらに夜中に目隠しをされ、刑務所内の別の場所にある地下の部屋に連行され、死刑が宣告されたと告げられる。そしてその数分後、首に縄がかけられるのだという。
処刑された人の遺体はトラックに積まれて、軍の敷地にある集団墓地に埋められるとか。
これを読むと、カンボジアでおきたポルポト派による大虐殺を思わせる。
このときは、トゥールスレン刑務所で無実の人たちが拷問され、キリングフィールドという処刑場に運ばれて殺害されていた。
その犠牲者の数は160万人にもなるという。
ポルポト
20年ほど前、中東にあるヨルダンを旅行していたときのこと。
食堂でご飯を食べていると、一人のヨルダンの人のおっさんが勝手に向かいの席に座ってしまう。
そしてなぜかイスラーム教について説明を始める。
ボクはご飯を食べ終わらないとそこから抜け出せない状態だったし、イスラーム教に興味があったからそのおっさんの話に耳を傾けることにした。
「おまえと会ってこうして話をしているのも、アッラー(神)のおかげだ」みたいなことから始まって、イスラーム教がどれだけ素晴らしい宗教なのかを話し続ける。
そのおっさんが強調していたのは、「イスラーム教は、平等な宗教なんだ」ということ。
モスク(イスラーム教の礼拝所)の中では、イラクのフセイン大統領も他のふつうのイスラーム教徒と同じように両手両ひざ、額を床につけて礼拝をする。
イスラーム教徒の礼拝
ラマダン(約一か月の断食)のときは、金持ちも貧しい人もみんな同じように食事を我慢する。
ラマダンをすることで、お金持ちは貧しい人たちの気持ちがわかるようになる。
それに、みんなが同じイスラーム教徒であることを実感することができるという。
イスラーム教の特徴には、その平等性があげられることがある。
キリスト教や仏教でも神の前では皆平等ですね。イスラム教でも同じです。イスラムでは信徒のことをムスリムといいます。アッラーの前では皆平等です。
「イスラーム教は平等なんだ」とヨルダン人のおっさんは力説していたけど、こんなニュースを知ると「どうなんかなあ?」という気持ちになる。
ゴゴ通信の記事(2017/1/31)に、サウジアラビアの王族のとんでもないお金のつかい方がのっていた。
サウジアラビアの王子がペット80匹を旅客機に乗せ機内がカオス状態
サウジアラビアの王子がペット80匹の鷹を旅客機に乗せ、その写真がネット上で話題となっている。
人間は写真右側に座っており、中央座席はサウジアラビアの王子が買っているペット80匹が陣取っている。ペットのために80席分の航空券を購入したという。鷹を飼育するのが普通となってきている中東ではたびたびペットの鷹を飛行機に乗せている人が見られる。
鷹を「荷物」として飛行機にのせるのではなくて、ペットの鷹のために80人分のチケットを買っている。
ペットの鷹を客席に乗せるか?
でもその一方で、シリアでは同じイスラーム教徒がとても苦しい生活を余儀なくされている。
ユニセフの「シリア緊急基金」を見たことがある人もたくさんいると思う。
今のシリアでは、生きて冬を越すことが困難な人が多くいるという。
国連UNHCR協会のホームページには、シリアの悲惨な状況がのっている。
アレッポに住んでいると想定される150万人のうち、国連機関は40万人と連絡が取れており、同じくらいの人数が市内で避難していると推定されています。
友人やほかの家族と一緒に住んでいる家族もあります。しかし、破壊された建物や非正規住居に住んでいると考えられる人は数千人に上ります。
あまり良くない水環境に加え、もう一つの問題は暖かさです。毛布、マットレス、冬用衣服、冬用キット、家族用テント、絨毯、寝袋、燃料缶の配布によって、26万1,000人以上が援助を受けています。ですが、マリク代表によれば、シリアの凍えるような寒さを乗り切るためにはこれだけでは到底足りません。
シリアでは一般の人はこんな生活をしていて、刑務所に入れられたら処刑されてしまう。
ニカーブを着たイスラーム教徒の女性(イエメン)
シリアだけではなくて、イエメンも緊急事態にあるという。
「私たちはおなかがすいており、寒く、病気で、助けと食糧と薬が必要です。私たちは誰かがくれるものを頼りに生きることを強いられています」と、今はイエメンの首都サナア郊外のダルワンにある非公式居住地内で、間に合わせのシェルターで暮らしているラザズは言います。
地図でサウジアラビアとシリア、イエメンの位置を見てほしい。
シリアはほんの上、イエメンとは隣り合っている。
同じイスラーム教徒が苦しんでいることを思うと、サウジアラビアの王子がやっていることがメチャクチャに見えてしまう。
80人分の席のチケットで、同じイスラーム教徒をどれだけ助けることができるのか?
国連はあのメッセージをサウジアラビアの王族に送るべきだった。
そもそも日本人とイスラーム教徒とでは、「平等」の感覚が違うらしい。
このようにけたはずれた贅沢ができるというのは、彼らの特徴なのか、それともこういった貧富の差が気になるのは日本人の特徴なのか。われわられは平等というと、非常に感動するわけですね。
(中略)インドでもそうでしょうけれど、イスラム圏でも貧富の差というものに対しては、きわめて無神経ですね。あって当たり前みたいなものです。
インドの場合は輪廻転生によって、どうせいつかはいっしょになっちゃうという意識があるのかもしれませんね。
イスラムの場合はそれがどこから出てくるのかというと、ちょっとわからないんですけど、コーランからということは、ないと思うんです。貧しい者は必ず救われるとも書いてないし、逆に、清貧というような概念もなくて・・・。
「イスラムの発想 山本七平・加藤英明」
確かにイスラーム教徒には、日本人が好きな「清貧」という考え方はないか本当に少ないと思う。
サウジアラビアの王族だけではなくて、イスラーム圏を旅したりイスラーム教徒の話を聞いたりしていると、貧富の差や「金持ちが本当に堂々としているなあ」ということを感じる。
自分がお金持ちであっても、そのことに申し訳なさや後ろめたさがまったくない。
上の文にあるように、イスラーム教徒は貧富の差が気にならないのだろう。
少なくても、日本人ほどは敏感ではないはず。
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「Why did you come to Japan(You は何しに日本へ?)」は失礼な質問?
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