2月3日は、1451年にオスマン帝国で、メフメト2世がスルタン(皇帝)に即位した日だ。
オスマン帝国(1299年 – 1922年)とは、現在のトルコを中心に繁栄したパワフリャーな国で、一時はイタリアの近くまで攻め込み、ヨーロッパ人に大きな恐怖や混乱をあたえた。
その第7代皇帝であるメフメト2世(1432年 – 1481年)は、コンスタンティノープルを占領して東ローマ帝国を滅ぼした人物で、まさに世界史を変えた漢(おとこ)。
トルコといえば、知人に日本のアニメが大好きなトルコ人女性がいる。
彼女は日本の大学を卒業した後、日本の会社に就職してもう5年ほど住んでいる。
日本語がペラペラで、日本人の友人も多い彼女は「ハーレム」という日本語を聞くと、不愉快な気持ちになるという。
それはなぜなのか?
メフメト2世
日本のアニメ作品には、男性のキャラクターがかわいい女の子に囲まれて、やたらもてる「ハーレムもの」がある。
「ハーレム」とは、1人の男が複数の美少女にチヤホヤされる夢のような状況で、まったくもってうらやまけしからん。
そんなハーレムアニメでは、
「ダーリンはうちのものだっちゃ!」
「いいえ、彼はわたしと付き合うんです!」
「ちょ、ちょっと待てよ、おまえたち〜」
みたいなに、人間関係が面白おかしく描かれることが多い。
でも、それは二次元世界にあるハーレムの話。
実際にイスラム世界にあったハーレムとは、おおまかに言えば女性たちの居住空間を指す。
トルコ語のハーレムは「禁じられた」を意味するアラビア語に由来し、その中に入ることができた男性は夫や子どもなどで、一般の男性の立ち入りは厳禁されていた。
オスマン帝国の宮廷内には大規模なハーレムがあって、これがヨーロッパ社会に広まり、現代の「ハーレム観」を決定づけた。
オスマン帝国のハーレムとはどんな場所だったのか?
英語版ウィキペディアには、こんな陰鬱な説明がある。
そこには若い奴隷少女たち(Young slave girls)が集団で住んでいて、皇帝(sultan、スルタン)と性行為をすることによって、彼女たちの住むところが決められた。
Young slave girls, on the other hand, inhabited a large dormitory. At this time, women’s sexual relations with the sultan determined their living quarters.
知人のトルコ人は、ハーレムにいた女性を「性奴隷」と呼んでいた。
彼女たちはスルタンと性交渉をすることで、自分の寝室や侍女、給料などを与えられたから、そう表現して間違いはない。
日本人の感覚だと違和感があるかもしれないが、オスマン帝国の皇帝は奴隷を妻にしていたのだ。
メフメト2世の母親もヨーロッパ出身の奴隷だった。
ハーレムの女性たちは皇帝の「所有物」とされていて、自由や人権は認められず、彼女たちの生殺与奪権は皇帝が握っていた。
皇帝の母親となった女性はぜい沢な生活を送ることができた一方、皇帝に気に入られない女性は、簡単に殺されることもあったらしい。
女性がハーレムに入れられる理由は、奴隷として買われたり、戦争で捕まえられたり、スルタンへの“贈り物”として献上されたりするなど、さまざまある。
過程はそれぞれ違っても、宮廷のハーレムに入った女性は一生、皇帝に仕えることになり、未来も運命も皇帝の“気分”で決められる。
知人のトルコ人は、女性の自由や権利を重視する価値観を持っている。
だから、オスマン時代のハーレムを、女性の搾取やイスラム世界の後進性の象徴と見なし、嫌悪する。
「ハーレム」という言葉には、皇帝から「モノ」として扱われた女性の悲しみやみじめさが込められている。
だから、彼女は大好きな日本のアニメで、その言葉がコミカルに使われていたり、日本人が日常生活で気軽にハーレムと言うのを聞くと、不愉快な気持ちになるらしい。
でも、この言葉は日本に定着していて、「トルコ風呂」ほどヒドイ言葉でもないから、廃止されることはないと思われる。
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