東ローマ帝国の首都コンスタンティノープル(イスタンブール)は1453年のきのう5月29日、オスマン帝国のスルタン(皇帝)メフメト2世によって陥落し、紀元前27年から約1500年つづいてきたキリスト教の国・ローマ帝国は完全に滅亡した。
歴史で有名な「なんちゃら陥落」にはこのコンスタンティノープルと、ベトナムの戦争の「サイゴン陥落」がある。
コンスタンティノープル陥落によってキリスト教正教会の大聖堂で、東ローマ帝国で最高の格式を誇る教会「アヤソフィア」は、オスマン帝国時代にはイスラム教のモスクとして使われるようになった。
トルコ旅行でそんなアヤソフィアへ行ったとき、隣で日本語ガイドがツアー客に向かって、
「天井にキリストの絵が見えますね?アジアとヨーロッパの境にあるトルコは、むかしから東洋と西洋世界が出会うところでした。イスラム教では偶像崇拝を禁していますが、オスマン帝国は宗教に寛容でキリストの絵を削除することなく、こうして保存してきたのです。キリストが見守るいるモスクなんて世界でもここだけでしょう。」
と説明しているのを聞いて、なんか感動した。
でもその後、歴史の本を読んでいたら、オスマン時代には漆喰(しっくい)で覆われていてキリストの絵はまったく見えなかったことを知る。
ガイドにはあのときの感動を返してほしい。
ただ、漆喰で隠したせいで空気に触れることなかったから、絵の保存状態はよかったらしい。
さて、そのまま時代は流れて、20世紀初めにトルコ革命が起こってオスマン帝国が滅亡して、トルコ共和国が成立すると、アヤソフィアは約500年ぶりにキリスト教の教会としてよみがえった、ということはなくて、宗教的に中立な博物館として公開されることになる。
東西の異なる宗教・文化の融合のシンボルなら、このときの無宗教のアヤソフィアがそれだ。
でも2020年になると、イスラム教の価値観を重視するいまのエルドアン政権は、オスマン時代と同じようにアヤソフィアをモスクへ戻してしまう。
キリスト教に関連する絵は基本そのままで、礼拝の時間だけ布で覆うことにするにしたらしい。
アヤソフィア
アヤソフィアをモスクに戻したことに対して、トルコ政府にはキリスト教圏の国から失望の声が上がってちょっとした国際問題になった。
イギリスBBC(2020年7月11日)
イスラム原理主義者がアヤソフィアをモスクに転換するよう求める一方、中立派の野党などが反対していた。モスクへの転換案は、世界各国の首脳や宗教的指導者から批判されてきた。
トルコ、アヤソフィアを博物館からモスクに 世俗化の象徴に大きな変化
日本のネットユーザーもガッカリのようす。
・あっらー
・♪モスク春ですね
・今こそ十字軍を派遣してコンスタンティノープルを奪還すべき
・ユダヤ人とクリスチャンとムスリムって信じてる神様は同じなのに何で歩み寄れないんだろうな
・イスラムがめちゃくちゃ進んでた時期もあったのに
どうしてこうなった…
ということで、トルコの歴史(支配者)が変わるとアヤソフィアの目的も変化したから、その移り変わりを見るとなかなかハードだ。
~1453年まではキリスト教の教会
1453年~1935年まではイスラム教のモスク
1935年~2007年までは博物館
2007年から現在まで再びモスク
まあアヤソフィアが破壊されずに、現在まで残ってることがそもそもすごい。
この先、政治的変化が起きてまた博物館に戻る気がするけれど、ローマ帝国以来となるキリスト教の教会になることはきっと永遠にない。
アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5
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