国籍や宗教が違っても、人類は結局みんな同じではなくて、やっぱりキャラはそれぞれ違う。
各国の国民性を表すこんなジョークがある。
世界中の人が乗った客船が事故で沈みはじめ、船長は客たちに海へ飛び込むように言う。その際、ためらう客にこう言い分けた。
アメリカ人には「飛び込めばヒーローになれますよ」
イタリア人には「美女が泳いでいます!」
イギリス人には「こういうとき、海に飛び込むのが紳士です」
そして、船長は日本人に向かってこう言った。
「みんなもう飛び込みましたよ」
ヒーローになって目立つよりも、ほかの人と同じことをして安心感を得ようとする。そんな日本人の性格をネタにしているが、これは否定できない。
今回は、ヒーロー大好きのアメリカ人から見た、日本人国民性について書いていこう。
それが日本という国をユニークにさせている反面、恐怖にも感じるらしい。
日本人の特徴のひとつが「魔改造」で、何でも勝手に変えてしまう。
キリスト教のクリスマスが日本にくると、別のイベントになるように、日本では海外から伝わったものが「日本化」する現象がよく起こる。
今月あったバレンタインデーも、女性が男性にチョコを渡したり、義理チョコを配ったりするのは日本独特の風習で、欧米のバレンタインデーとはかなり違う。
日本で現在のバレンタインデー文化が形成されたのは、1936年に神戸のチョコレート会社モロゾフが「バレンタインデーには愛する人にチョコレートを贈って愛を伝えましょう」とアピールしたことが始まりとされている。
それで神戸は、「日本のバレンタインデーの発祥の地」という称号をゲットした。
それから時代は流れ、1970年代の後半、菓子業者は毎年2月になると、お菓子の売り上げが落ちてしまうことに悩み、「女性が男性に思いを込めて、チョコレートをプレゼントしよう!」というキャンペーンをはじめた。
これが成功し、現在に続く「日本型バレンタインデー」が定着していく。(バレンタインデー)
つまり、企業の戦略や宣伝によって、このイベントが日本に浸透したのだ。
ちなみに、日本では全体的に2月と8月に消費が低迷する傾向があり、「二八(にっぱち)」と呼ばれている。
江戸時代にも同じような話がある。
夏になるとウナギが売れなくなるから、それに困った鰻屋の店主が平賀源内に、「売上がアガる良い案はないですかね〜?」と相談すると、源内は、みんながウナギを食べたくなるようなキャンペーンをすればいいと提案。
それが当たったことから、「土用の丑の日」の習慣が日本に定着したという。
日本人は江戸時代から、「みんなもうやってますよ」と聞くと、自分も同じことをやろうとする、流行に流されやすいDNA(国民性)があるらしい。
平賀源内(1728年 – 1780年)
友人のアメリカ人は日本に 15年近く住んでいて、日本語はペラペラで日本のこともよく知っている。
そんな彼が来日したころに衝撃を受けたのが、日本人がクリスマスの日にフライドチキンを食べること。
アメリカ人にとって、クリスマスとフライドチキンはまったくの別もので、この2つが結びつことなんてあり得ない。
一年に一度のめでたい日に、なんでファストフードを食べるのか?
この風習を不思議に思って起源を調べてみると、これは(バレンタインデーと同じく)1970年代に、ケンタッキー・フライドチキンが「クリスマスにはケンタッキー」という宣伝をおこない、それが成功した結果とわかった。
日本では、「仕掛け人」が意図的にブームを作ることがよくある。
彼が日本へ来たころ、まだ恵方巻きはほとんど知られていなかったのに、いまでは大量廃棄が問題になるほど社会に定着している。
彼は昔から日本に興味があり、アメリカの大学で東洋史を学んでいたとき、教授から日本人の考え方や行動についてこんな説明をうけた。
日本は国民の 97%以上が日本人で、「単一民族国家」と言っていいほど同じ人間が多い。
一方、アメリカは白人、黒人、アジア系、ヒスパニック系など世界中の民族がいる移民国家で、日本とは本当に対照的。
日本は島国で、歴史的に外部からの人の流入がほとんどなかったから、日本人は同じ価値観や考え方を広く共有している。
だから、あるとき指導者が指をさすと、国民が一斉にその方向へ動き出すことがある。
太平洋戦争中、日本人はアメリカ人を憎悪し、自爆攻撃までしたのに、アメリカに占領されると一変し、抵抗運動はまったく起こらず、素直に支配された。
ある一点を過ぎると、社会が突然ひっくり返ることはそれ以前にもあった。
幕末の日本は、サムライが西洋人に斬りかかるような恐ろしい社会だったのに、開国して明治時代になると、西洋人に学び、世界のどこの国よりも積極的に文化や文明を吸収した。
友人はこの説明を聞いて、日本人の考え方が理解できたと感じた。
彼が日本に来てから、教授の説が正しかったことを実感した。
日本版のバレンタインデーやクリスマス、ハロウィンや恵方巻きでは全国の人たちが同じことをしている。
やっぱり、日本人は価値観や考え方を共有しているから、何かのきっかけがあると、国民は一斉に同じ方向へ動き出す。
彼にとって、それは悪いことではない。まとまりや統一性があってとても日本的な現象だし、新しい国民的イベントが登場するのもおもしろい。
そんな活力は日本の魅力の一部だと感じる。
アメリカでは、国民が広く共感し、一斉に同じことをするようなイベントはなかなか生まれない。
日本のメディアが「○○が全米で大人気!」と宣伝することがあるけど、それは実際には一部の現象で、そのことを知らないアメリカ人のほうが圧倒的に多い。
彼は最近、「大谷翔平に全米が熱狂!」みたいな記事を何度か見たけど、アメリカ人に聞けば、「Ohtani、Who?」という反応がいちばん多いと言う。
アメリカにはいろいろな宗教や民族の人間がいて、さまざまな価値観や考え方があるから、意見が出ると必ずそれに反対する勢力が出てきて、社会的な議論が巻き起こる。
だから、国民はなかなか一致しない。
彼がこれまでの人生で、全国のアメリカ人がまとまった瞬間を見たのは、2001年9月11日に同時多発テロが起きた時だけ。
そんなことで友人は、日本のような「単一民族国家」では、アメリカにはない良さや魅力があるが、強力な指導者が登場すると、国民が一定の方向へ動き出すような全体主義的な恐ろしさも少し感じている。
たしかにアメリカ人に比べれば、日本人には流されやすい国民性があると思う。
でも、それは新しい流行が生まれたり、国民的なイベントが登場したりする程度のもので、戦争に突入する未来は見えない。
幕末から明治維新の急激な変化、「鬼畜米英」がすぐに「民主主義」へ変わった現象は、日本人のボクから見てもやや不思議ではある。
知り合いのインド人が「日本人は洗脳されやすいのでは?」と疑問に思った気持ちもわかる気がする。
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