2023年に、韓国を訪れた日本人観光客は231万人を超え、国別ではもっとも多かった。
ソウルで日本人に人気の観光スポットのひとつが、朝鮮時代(1392~1910年)の王宮である「昌徳宮(チャンドックン)」。
ここは 16世紀の豊臣秀吉による朝鮮出兵の際に焼失し、1615年に再建された後、約 270年にわたって王宮として使われていた。
焼失した原因については、朝鮮時代の史書(宣祖修正実録)によると、民衆による放火とされているが、くわしいことは分かっていない。
なんでこの場所が日本人に人気なのかというと、日本語ガイドが無料で案内してくれるサービスがあるから。
ボクも 10年以上前にそれを目当てに昌徳宮へ行って、ガイドからこんな説明を受けた記憶がある。
「昔、ここで王さまの即位式が行われました」
「この青い瓦屋根がある王宮は、いまでは昌徳宮だけす。だから、とても貴重ですよ〜」
「この石の門は不老門と呼ばれています。国王が長生きできるようにという願いが込められています。この門をくぐると、年をとらないと言われていますが、わたしにはまだ効果が現れていないようです」
ガイドの日本語能力は高くて、知識も豊富だったから、このツアーで韓国の文化や歴史を理解することができた。
それにガイドは日本人がよころぶツボも分かっていて、「この位置から、カメラをこの角度で〜」と、SNS映えする写真撮影のポイントを細かく教えてくれた。
いまでは、韓流ドラマの知識を散りばめながら、日本人観光客を案内しているらしい。
口コミを見ても、
「おすすめです!ぜひ行ってみてください。」
「非常に充実していて満足しました。」
「韓ドラが好きな私にはとても良かったです。」
と評価は高く、「ありがとうございました」と感謝の気持ちを伝える人も多い。
しかし、100年前はかなり違った。
昌徳宮にある玉座
1910年(明治43年)に日本が韓国を併合し、日本の統治がはじまった。
その時、日本は朝鮮半島を“手に入れる”代わりに、大韓帝国の借金をすべて肩代わりしたことはあまり知られていないと思う。
それから約 20年後の 1929年(昭和4年)に、日本の民間人が朝鮮へ視察旅行に出かけ、昌徳宮を訪れる。
そこには朝鮮時代の美しい庭園「秘苑(ピウォン)」があり、彼らは現地の老人に案内してもらった。
ある日本人は旅行の中で、この経験がもっとも印象的だったという。
*文章は当時のものだから、現代ではNGワードもある。
「かつては花の如く榮ゑた君王の庭園も、亭樓も、今はたゞ面影を止めるのみとなつてゐる。その苑庭にたどたどしい日本言葉で語り說く老鮮人の姿を、私は哀愁なしに見る事が出來なかつた。」
ソース:「昭和四年の日本人は、朝鮮満洲に何を思ったか? 日本初の民間人団体旅行の紀行文 鮮満十二日 鮮満視察団紀念誌を原文で読む。」(佐藤聡. Kindle 版)
これは、別の世界線にある日本の歴史。
その日本が戦争でアメリカに負け、天皇がその地位を失ったとする。
そして、アメリカによる統治がはじまった。
20年後、アメリカの民間人が旅行でやってくると、日本の老人が、かつては花のように栄えていたが、いまは面影(おもかげ)をととめるだけとなった皇居を案内し、たどたどしい英語で説明をする…。
これはかなり屈辱的で、さらにアメリカ人から「哀れみの目」で見られたら、おそらく惨めさは倍増する。
もちろん、これは 100年ほど前の日本人の感想で、現在の日本人には直接関係はない。
老人がこのとき、どう感じていたのかも分からない。
韓国旅行で同じ昌徳宮を訪れて、昭和の日本人は(ある意味上から目線の)悲しみや同情を感じ、現代ではそれが感謝や感激に変わった。
統治する側/される側の関係から、対等な隣人になったことで、旅行の感想も一変した。
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