「最強」と言われる者同士が戦って、相手の実力を知った結果、「おまえ、やるじゃねえか」「オマエもな」とニヤリと笑って固く手を結ぶ。
そして、ライバルが友になって、一緒にラスボスを倒しに向かう…。
そんな少年ジャンプ的な展開が日本の歴史にもあった。
1853年、アメリカの軍人ペリーが艦隊を率いて日本にやって来て、強大な武力をチラつかせながら、開国を要求してきた。
艦隊が現れた場所が江戸に近い浦賀だったから、「江戸が砲撃されるかも!」というウワサが流れ、人びとはパニック状態におちいる。
そんな状況を詠んだ狂歌がこれだ。
「泰平の 眠りをさます 上喜撰 たった四盃で 夜も寝られず」
この歌には次の2つの意味がある。
緑茶の上喜撰(じょうきせん)を四杯飲むと、カフェインの作用で眠れなくなる。
外国の蒸気船(上喜撰にかけた)が来たことで、夜も寝られないほどの大騒ぎになった。
日本が外国をやっつけるの図
しかし、現実はこんなに甘くなかった。
強烈な外圧を受けて、これから日本はどうするべきか、有力藩の薩摩と長州とでは立場が分かれた。
薩摩藩は朝廷と幕府が手を組んで、諸藩がそれに加わって日本が一つになって、開国や外国との貿易を認める案がいいと思った。
しかし、長州藩は外国との通商にはダンコ反対で、外国勢力を追い払って鎖国を続けようと考えた。
薩摩藩の支持する公武合体論と、長州藩が主張する攘夷論が正面衝突する。
薩摩藩は長州藩が目ざわりになり、会津藩とタッグを組んで、1863年に京都で長州藩と戦い、長州派の貴族ごと京都から追い出した。(八月十八日の政変)。
翌1864年、再び京都で、復讐に燃える長州藩が薩摩藩と戦ったが、返り討ちにされる。(禁門の変)。
この結果、長州は天皇に忠誠を誓っているにもかかわらず、「朝敵(=天皇の敵)」という屈辱的なポジションに追いやられた。
薩摩に対する長州藩士の怒りはすさまじく、履物に「薩賊会奸」(卑劣な薩摩と会津は絶対許さん:意訳)と書き、それを踏みつけながら歩いたという。
幕府軍と戦うため、高杉晋作は「奇兵隊」を組織する。
一方、薩摩藩も望んでいたような状況に進まず、大久保利通や西郷隆盛などの有力人物は「やはり幕府を倒すべき」という方向に傾いていく。
長州藩としても追いつめられた状況を何とか打破したかったし、幕府を倒すことには賛成だ。
しかし、薩摩には積もり積もった恨みがあって、話し合う状況にはない。
そこに坂本龍馬というミラクルキューピットが現れ、彼が長州と薩摩をくっつける。
1866年のきょう3月7日、 薩長同盟が成立した。
この奇跡が実現した理由は「相互交換」にある。
長州藩は幕府が攻め込んでくることを想定し、武器を必要としていたが、外国が長州に武器を売ることはできなかった。
そこで、薩摩藩が名前を貸し、武器を調達する手助けをした。
薩摩は米不足に悩んでいたから、長州藩がお米をプレゼントする。
薩長同盟が成立した背景には、こんなウィン・ウィンのやり取りがあった。
こうして最強タッグが生まれ、1868年に、薩長を中心とする新政府軍が幕府軍というラスボスと戦う。
この戊辰戦争で徳川慶喜は負けを認め、1868年に江戸を明け渡す。
全体を通してみると、薩摩と長州が手を組んだのは、幕府終了のお知らせだった。
*江戸幕府が終わったのは、一般的には1868年の1月3日、明治天皇から「王政復古の大号令」が出された時とされている。
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