インド人を伊勢神宮へ 川が聖域/人間界を分ける発想

 

有名なイギリスの歴史哲学者トインビーは、1967年に伊勢神宮を訪れて、こんなことを感じた。

「私はここ聖地において、すべての宗教が根源的に統一されたものであることを実感する」

そのころ西洋では、日本の神道について「未開」や「野蛮」といったネガティブなイメージがあった。でも、トインビーはそんな有象無象と違って、神道にあらゆる宗教の「はじまり」に通じる普遍性を感じた。
現代の日本にもそんな精神風土が残っている。

 

トインビーは『歴史の研究』の中で、日本を独立したひとつの文明と考えた。

 

そんな日本の聖地へ3人のインド人を連れて行ったから、今回は彼らの感想を中心に記事を書いていこう。
前回までのはコレ。

インド人を伊勢神宮へ 五十鈴川とガンジス川の同じ/違い

インド人を伊勢神宮へ 水にコインを投げ入れたくなる理由

 

伊勢神宮の内宮へ行くには、まずこのデッカイ鳥居をくぐらないといけない。

 

 

鳥居の後ろには五十鈴川が流れているから、参拝者は宇治橋を通って内宮へ渡ることになる。
この川には、東側にある神々の世界(内宮)と西側の人間の世界を分ける境界線の役割があるのだ。
そんな話をすると、インド人は「インド」という国名もそんな発想からうまれたと言う。

人は川(河) に特定の意味を与えてきた。
多摩川の北側が東京、南側が神奈川になっているように、日本では、県や都市が川によって区切られているところが多い。

人類には、川を境界線とする発想が古代からあり、「インド」という国名もこの考え方に由来する。
いまのインダス川は、古代インドのサンスクリット語では「シンドゥ(Sindhu)」、古代ペルシア語では「Hindu(ヒンドゥ)」と呼ばれていた。
*シンドゥは「川(河)」の意味。

紀元前4世紀、ギリシアのアレクサンドロス大王がペルシャ帝国を破り、インダス川に到達した時にこの名称を知る。
それで、ペルシャやギリシアではインダス川から東を「ヒンドス」や「インドス」と呼んでいたのだ。ニュアンスとしては「川の向こうにある土地や人」といった感じ。
これが現在のインドという国名やヒンドゥー教の由来になった。

 

古代ギリシアの歴史家ヘロドトス(紀元前5世紀)の世界観では、最も東にインダス川があって、その向こうは「未知の世界」だった。

 

一般的には川をはさんで「こちら」と「向こう」を分けるだけで、そこに上下優劣はないが、「聖域」になると話は別。
伊勢神宮の横を流れる五十鈴川の場合、その東側にある内宮は神々の世界、「おかげ横丁」のある西側は俗世界(この世)とされている。
この2つの異世界をつないでいるのが宇治橋。
伊勢神宮のHPには、「日常の世界から神聖な世界を結ぶ架け橋」と書いてある。

このとき一緒にいたインド人たちは五十鈴川を「神聖な川」と知って、ヒンドゥー教徒が神聖視するガンジス川に重ねた。
宇治橋の西側は俗世間、東側は聖域になると聞くと、彼らはガンジス川にも似たような考え方があると言う。

ヒンドゥー教徒にとって、ガンジス川の流れるヴァラナシは超重要な聖地だ。
ヴァラナシでは、ガンジス川の西側でヒンドゥー教徒が沐浴や火葬をおこない、東側は人の住まない「不浄の地」とされているらしい。
そう言えば、以前ヴァラナシへ行った時、ボートで東岸に行っても建物が無く、殺風景な不毛の地が広がっていて、にぎやかな西側とはまったくの別世界で驚いた。

ただ、五十鈴川は神聖な川でも、位置づけとしては境界線で、重要なところはその先にある内宮だ。
一方、ガンジス川については、ヒンドゥー教徒はそこに遺灰を流すと魂を天国へ運んでくれると信じているから、川自体が「ご神体」として崇拝の対象になっている。
3人のインドもこの点に異論はなかった。
でも、西側を「人間が住む普通の場所」言うインド人と、「いやいや、そこも神聖な地だ」と言うインド人がいて、彼らの間でも見方は分かれた。

「ヴァラナシが聖地なら、そこの土地はすべて神聖じゃね?」という気もするけど、ガンジス川の東側は「穢れの地」とされているから、よくわからない。
とにかく、ガンジス川はそれ自体が「神」とされていて、その両側にはあまり意味がないから、ガンジス川をただの「境界線」と考えるのはおそらく失礼。

 

伊勢神宮では、太陽の昇る東側が「神々の世界」になり、その反対側が「人間界」になっていると勝手に考えている。
ヴァラナシで、ガンジス川の東側が「人間界(または清浄な地)」、西側が「不浄の地」とされている理由はなにか?

その理由を聞くと、インド人たちは「ああソレね…。考えたことなかった!」と言ってスマホで調べはじめる。
それによると、歴史的にヒンドゥー教徒は早朝にガンジス川で沐浴をすることが多く、その際、東から現れる太陽に祈りを捧げていた。だから、西側に人が集まって都市が形成され、反対側の東側は自然と「不浄」と見なされるようになったらしい。

川が聖域と人間界を分ける発想は、きっと宗教の根源的なところにある。

 

植民地時代、価値観(死生観)の違いから、イギリス人はヴァラナシにある火葬場を郊外へ移そうとしたが、現地のインド人に猛烈な反対にあって断念した。
その際、ヒンドゥー教徒たちは「ヴァラナシのために火葬場があるのではない。火葬場のためにヴァラナシが存在するのだ」と主張したという。

 

ガンジス川沿いにある火葬場(ヴァラナシ)

 

ガンジス川で沐浴する人たちを描いた絵(1883年)
これは日清戦争より古い絵なのに、現在も景色は変わっていない。

 

 

インド北部を流れるインダス川

 

 

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ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。