先週末は天気が良かったんで、インド人と一緒に神社とお寺へ桜を見に行ってきた。
そこでいろんな話を聞いたから、今回は、彼が日本で感じた話を中心にダイジェスト形式で書いていこうと思う。
・職場にオーストラリア人がいて、日本人と比べると、彼らの対人感覚はインド人に近い。
インド人やオーストラリア人は職場で先に帰る時、同僚に「バイバイ」や「じゃあ、また明日」とカジュアルなあいさつをする。
でも、日本人は「お疲れ様でした」「お先に失礼します」と言う。
「日本人はとても礼儀正しい。でも、やや堅苦しい」と話すと、オーストラリア人も同じことを感じていた。
・日本の市町村にはよく「ゆるキャラ」がある。
外国の都市のことだから何も思わないけど、もし自分の出身地がそんなマスコットキャラクターを作ったら、子どもっぽくてイヤ。
都市の誇りを感じられるような、かっこいいデザインが良い。
・最近、インドでヒンドゥー教の祭り「ホーリー」があった。
これは「ハッピーホーリー!」と言って、いろんな人に色のついた粉を塗りまくるクレイジーなお祭り。
・イスラム教徒はホーリーとは関係がないから、ムスリムは基本的には何もしない。けど、ヒンドゥー教徒と同じように「色塗り」を楽しむ人もいる。
・インドでは残念ながら、イスラム教徒とヒンドゥー教徒の仲は良好とは言えない。
その原因は宗教よりも、むしろ教育にある。
高い教育を受けた人は知識や寛容な態度があるから、宗教の違いによる緊張は無い。
教育レベルの低い人たちの間で対立が起きやすい。
・イギリス植民地時代にあった出来事の中で、特にひどかったのが1919年に起きた「アムリッツァ虐殺事件」。
この事件では、イギリス軍が無抵抗の市民に対して無差別に銃撃し、たくさんの死傷者を出した。最悪の行為だ。
*この事件の死者はおよそ380〜1500人、負傷者は最大で1500人とされる。
・イギリス人は当時、インド人が団結して抵抗することを恐れていた。
だから、「分割統治」をおこない、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒を分裂させた。
しかし、ガンディーは、両宗教の信者が一緒に参加できる非暴力・不服従運動を提唱し、イギリスの支配に対抗した。
あるインド家族のホーリーの風景
・インド人の自分は、出身地の言葉と国の公用語であるヒンディー語、それと英語を話す。
複数の言葉を話すことは、インドではわりと当たり前。
・日本語学習で難しい点は、平仮名、カタカナ、漢字の3つのアルファベットがあること。
しかも、一つの文章に3つの文字を混ぜて使うと知った時は、あえてそんな複雑なことをする理由がわからなくて驚いた。
・ヒンドゥー教のお寺では、「手水」のようなものを見たことがない。
手を洗うことはないけれど、靴を脱いでお寺に入ることで神に敬意を示す。
・日本で気に入ったお菓子が「ハッピーターン」。
インドの食文化では北部はパン、南部は米をよく食べる。
自分の出身地では、ライスクラッカーはとても珍しいから、日本のお土産に「ハッピーターン」を買って帰ろうと思っている。
・日本では関西・関東みたいに、文化が東西で分けられることが多い。
インドでは基本的に南北で文化圏が分けられる。
でも、東西の違いも大きくて、砂漠のある乾燥地帯のラジャスタン州に行った時は、寒暖差が大きくて驚いた。現地では米を食べる習慣がなくて、甘いものが発達している。
・袋井市の「フク」が「ファック(Fuck)」に聞こえるかって?
そんなことを考えたことはなかったけど、言われみれば、たしかにそう聞こえないこともない。
変な情報を教えないでくれるかな?
外国人には「福=Fu**」で、福井空港や福留さんに“被害”発生
・日本人はよく、お寺や神社のさい銭箱にコインを投げる。
そのお金は神や聖職者のために捧げるものだから、放り投げるのは失礼のように見える。
・このまえ京都を旅行した。
京都は「古都」だから、インドでいうならアグラかな。
*16世紀、アグラはムガル帝国の首都だった。タージマハルがあることでも有名。
京都では、清水寺・金閣寺・伏見稲荷大社に行った。
清水寺はスケールが大きくて良かったし、金閣寺はとてもきれいで感動した。伏見稲荷は鳥居がずっと続いていて、とても不思議な雰囲気を感じて良かった。
残念だったのは、どこもたくさんの外国人がいて、英語やヒンディー語が聞こえたから、日本らしさを味わえなかったこと。
想像の20倍の外国人がいて、日本人よりも多かったと思う。
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