極東と東西の境界|日本とトルコの地理的、歴史的な違い

SNSを見ていたら、日本を旅行したトルコ人がとても印象的だったこととして、「とにかくどこもきれい!」と話していた。
道にゴミが落ちていないし、建物に落書きもないから、とても気持ちよく旅をすることができたという。

トルコではみんなが「自由」に振る舞うから、ゴミのポイ捨てが多くて日本のような清潔感は期待できないらしい。

日本とトルコにはほかにもさまざまな違いがある。
ここでは「地理」と「歴史」の二つを取り上げて説明していこう。

 

日本とトルコのあいだにアジアがある。

目次

外国人から見たトルコと日本

以前ネットを見ていたら、ある海外サイトがトルコと日本を対照的に紹介していた。
まず、トルコについては、

「Turkey. That magical place where East meets West.」
(東洋と西洋が出会う不思議な場所)

とオシャレに表現し、日本についてはこう書かれていた。

「Japan isolated itself from the rest of the world for 265 years.」
(日本は265年間、世界から孤立していた)

これは江戸時代の「鎖国」のことを言っているのだろうが、日本はオランダと交流していたから、完全に孤立していたわけではない。

東西の境目と極東という位置

この二つの短い文から、日本とトルコの地理的な特徴が見えてくる。

トルコはアジアでもっとも西にある国で、ヨーロッパとの「境目」になっている。
そのため、昔からイスラム教とキリスト教が混ざり合い、ユニークな文化を形成してきた。
知人のトルコ人がDNAを調べたところ、ロシア人、ギリシャ人、インド人などさまざまな血が混ざり合っていることが分かった。

それに対して、日本は「Far East(極東)」と呼ばれ、文字どおりアジアのもっとも東に位置している。
だから歴史的には、東と西からさまざまな人が移動してきて、トルコと同じレベルで混ざり合うことはなかった。

 

コンスタンティノープルの包囲戦

コンスタンティノープル攻防戦

今日4月2日に起きた出来事から、日本とトルコ(アナトリア半島)の歴史的というか、宿命的な違いが見えてくる。

まず、日本では1332年のこの日、鎌倉幕府が、元弘の乱で倒幕に動いた後醍醐天皇を隠岐島(おきのしま)へ追放することを決定した。
しかし、後醍醐天皇はすぐに島から脱出し、翌1333年には鎌倉幕府を滅ぼし、建武の新政をスタートさせる。

いっぽう、現在のトルコがある場所では、その120年後の1453年の4月2日に、メフメト2世によるコンスタンティノープル攻防戦が始まった。
これはイスラム国家とキリスト教国家による決戦で、その結果が世界の歴史を大きく変えた。

オスマン帝国のメフメト2世は艦隊を率いて、東ローマ帝国に攻め込もうとしたが、東ローマ帝国は「知ってた」とばかりに、金角湾の入口に太い鎖を張っていたため、オスマン艦隊は侵入できなかった。

するとメフメト2世は艦隊を陸上に引き上げ、木に油を塗って滑りやすくし、それで道をつくって艦隊を移動させることにした。
東ローマ帝国側は、軍艦が陸路で移動することをまったく予想していなかった。

「オスマン艦隊の山越え」と呼ばれるこのミラクル作戦は成功し、70隻もの船がいきなり金角湾に現れ、東ローマ帝国軍は衝撃のあまり言葉を失った。

この意表をつく作戦でオスマン帝国は優位に立ち、その後の戦いを優勢に続けていく。
そして、東ローマ帝国最後の皇帝・コンスタンティノス11世は「滅びの運命」を受け入れ、5月28日の夜に演説をおこなった。
将兵たちは涙を流しながら、「キリストのために死ぬのだ!」と叫んだという。

1453年の5月29日、オスマン帝国軍の攻撃によって首都コンスタンティノープルは陥落し、一千年の歴史を誇るローマ帝国は滅亡した。

 

オスマン帝国時代の衣装

オスマン帝国の繁栄と滅亡

これでキリスト教の国は消滅し、その地にイスラム教国家が誕生した。
メフメト2世がハギア・ソフィア聖堂をモスクに改修したのはその象徴といえる。
コンスタンティノープルはオスマン帝国の首都になり、イスタンブールと改称された。
イスタンブールについては、「イスラムの地」という意味の言葉を語源にしたという説がある。

それから時代が流れ、第一次世界大戦でオスマン帝国が敗北すると、今度はヨーロッパ諸国のターンだ。
1920年に、イギリスやフランスなどの連合国がオスマン帝国にセーヴル条約を結ばせた結果、オスマン帝国は広大な領土を失い、首都イスタンブールは国際管理下におかれるという屈辱的な状態となった。

トルコでは1922年に革命が起きて、オスマン皇帝は亡命し帝国は崩壊した。

 

いちばん下に日本がある。
赤い線が古代から続いていて、日本だけが滅亡した

古代から続く国・日本

日本の歴史には、「コンスタンティノープル陥落」のような出来事は一度も起こらなかった。
13世紀にモンゴル軍が攻めてきたが、鎌倉武士の勇気ある戦いと神風(暴風雨)によって返り討ちにされた。

日本は異民族に攻め込まれ、国が滅ぼされたという悲劇を経験したことがない。
「元弘の乱」で鎌倉幕府が滅亡するように、日本人どうしが戦って政権を交代させたことなら何度もあるが、革命は一度も起こらなかった。
誰かが天皇を倒し、別の国家をつくったことはない。

日本は極東にある島国で、外国にとっては攻め込むことが困難だったから、「名誉ある孤立」をすることもできた。
陸続きの国だったら、鎖国という選択はまったく現実的ではない。

4月2日は1890年に、初代天皇の神武天皇を祀るため、神武天皇の宮廷があったとされる場所に、橿原神宮が建てられた日でもある。
日本では皇室が一度も絶えることがなかったから、こんなことが可能だった。
強大な東ローマ帝国やオスマン帝国は消え去ったが、日本はいまも健在だ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

コメント

コメント一覧 (2件)

  • 説明するだけでえとかなくてわかりずらかった。もっとわかりやすくしてほしい。しかも、地理的な違いがあんまわかんなかった。てかまったくわかんなかった。もっとかいぜんしてよね。

  • >てかまったくわかんなかった。もっとかいぜんしてよね。

    それはすまなかった、あゆむ君。
    おじさん、がんばって書き直して地図や写真を入れたから、前よりは分かりやすくなったと思うよ。
    よかったら、また感想を聞かせてね。

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