むかし中国を旅行中、日本語ガイドからこんな“自虐ネタ”を聞いた。
「唐のものは日本へ行って、明のものは韓国へ行った。中華民国のものは台湾へ行き、中国に残ったものは、文化大革命の時に中国人の手で破壊してしまった。」
つまり、今の中国には過去の中国文化がなく、周辺に行くとそれを見ることができるらしい。
これは中国らしい誇張した言い方で、現在の中国には紫禁城や兵馬俑などがあって、さまざまな時代の歴史遺産を見ることができる。
しかし、中国の歴史では、皇帝が倒されて新しい人物が皇帝として即位し、新王朝をはじめることが繰り返されてきた。その際に帝都が破壊され、貴重な建物や文物が消失することは「中国史あるある」だ。
一方、日本ではこの王朝交代(易姓革命)が一度も起こらなかった。
天皇家は古代から続いていて、現在の天皇は126代目になる。
ウィキペディアによると、907年のきのう6月1日は、朱全忠が唐を滅亡した日で、きょう2日は、彼が大梁国(後梁)を建国した日。
この王朝交代の際も、朱全忠が唐の都・長安を徹底的に破壊し、燃やし尽くした。
どうしても壊すことができなかった建物が例外的に残っただけで、長安の街は「さら地」になってしまった。
日本は奈良・平安時代、遣唐使を派遣して長安で学ばせ、彼らが先進的な文化や文明を日本に持ち帰り、国を発展させた。
長安をモデルにして建設された都市が平安京で、名前も長安に由来している。
そんな背景があるから、京都を旅行した中国人に感想を聞くと、「京都の町並みは唐朝を連想させる」と言う人が多い。
長安の地に建設された現在の西安には、唐の面影がほとんどではない。もう、潔く“無い”と言い切ってしまっていいと思う。
西安に行った時、広州から来た中国人と出会った。
彼女は「長安の雰囲気を味わいに来たのに、ここにそんなものはなかった。西安はただの地方都市でガッカリした」と肩を落としていた。
西安出身の日本語ガイドすら、「唐を見たかったら、京都へ行ったほうがいいですよ」とサラリと言う。
中国の古都(長安)を味わいたかったら、「そうだ 京都、行こう」となる。
10世紀に、朱全忠が廃墟にしてしまったから、そうなってしまった。
王朝交代が何度も起こり、破壊と創造を繰り返した中国と、それが一度もなかった日本との違いの一つがこれだ。
それでも西安にある兵馬俑はすごかった。
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