日本人は朝鮮通信使をどう見た? 韓国と日本で違う認識

 

朝鮮国王が日本の将軍に対して、信(よしみ)を通(かよ)わす使者として派遣したのが朝鮮通信使
「よしみをかよわす」というのは、日本と朝鮮が親しい付き合いをするということで、現代でも、朝鮮通信使は日韓友好のシンボルとされている。

これは室町時代、足利義満の時代にはじまり、朝鮮出兵で日朝の国交が断絶して途切れた。
そして江戸時代になって再開され、1607年のきょう6月29日、朝鮮通信使が初めて江戸を訪れて将軍・徳川秀忠と会い、国王の親書をわたした。
一般的に朝鮮通信使というと、この時から第12回(1811年)までの江戸時代のものを指す。

現代の日本と韓国も、ソウルと江戸を行き来した朝鮮通信使が、日韓の友好親善の象徴という点で認識は一致しているが、細かい見方になるとかなり違う。
それをこれから見ていこう。

 

韓国の全国紙・中央日報はこう書いている。(2012.07.20)

当時、朝鮮通信使は日本人に先進文物を伝える外交使節団と認識されていた。(中略)朝鮮通信使との筆談は当時の日本人にとって「特級情報」とされた。朝鮮通信使の宿舎の前には先進技術や学問について尋ねようとする日本人でいつも込み合った。

「ハングルを書いてください」…江戸時代の日本、朝鮮から学ぼうとした

 

韓国側の見方では、ここに2回使われている「先進」という言葉がキーワードになっている。
当時の日本人は朝鮮を日本より進んだ国と考え、強いあこがれを持っていた。通信使はすばらしい「先生」だったから、彼らが来たと知ると、大勢の人が集まって貴重な知識や技術を教えてもらったと、韓国では考えられている。

上下関係を重視する儒教の影響といわれるが、韓国は特に昔の日本に対し、自国を文明国、日本は文明レベルで劣っている国と、「上から目線」で見る傾向が強い。
上の文章からも、そんな認識が伝わると思う。

 

朝鮮通信使に対する日本の見方は、韓国のものとはかなり違っている。
一度にやってくる通信使の一行は4〜500人で、朝鮮の飾りや衣装は日本人には新鮮で、音楽隊もいたため、ウィキペディアの説明には「庶民にとって大きな娯楽であった」、「異国情緒を持った一種の見世物として沿道の民衆にも親しまれていた」とある。
朝鮮通信使は数十年に一度やってくる珍しい存在で、一生に一度しか見ることができないかもしれない。
だから、通信使の泊まっている宿に押しかけ、記念となるサインをもらおうとする人が多かった。
幕府は、民衆が通信使の行列を見物することは認めていたが、「指をさしたり笑ったりしてはいけない」といったお触れを出している。裏返せば、かなり無礼な態度をとった人たちが多かったということだろう。
庶民が日本の大名行列に指をさして笑ったら、すぐに首から上が無くなったハズ。

当時の日本の民衆の間には、朝鮮通信使を「朝貢使節団」とする見方もあった。
これは、朝鮮が国として日本に従属していて、通信使の一行は「ボス」である将軍にあいさつするために来日しというもので、朝鮮にとってはかなり屈辱的。
朝鮮側もそんな日本人の認識に気づいていたが、特に抗議などはしなかったようだ。

 

本日のまとめ

現代の韓国では、当時の日本人が朝鮮通信使を「先進文物を伝える外交使節団」と認識し、先生として、先進技術や学問を教えてもらっていたと考えている。
いっぽう、日本では、当時の日本人にとって彼らの行列は一種の見世物で、庶民の娯楽であり、なかには「朝貢使節団」と考える人もいた。
日韓の見方はまったく違うけれど、朝鮮通信使が友好親善のシンボルだったという点では一致している。

 

ニワトリを盗んだ朝鮮通信使を町人が捕まえている。
韓国のメディアがこの絵を紹介することはまずない。

 

 

日本 「目次」

韓国 「目次」

【日韓交流】日本から韓国へ伝わった、3つの有名なもの

韓国人の知らない日韓の歴史 朝鮮出兵・元寇であったコト

江戸時代の朝鮮通信使、先進国・日本を見て驚嘆しシットする

 

2 件のコメント

  • 朝鮮人の世界観は、中国を中心にその周囲にある朝鮮だけが文明国で、海の向こうにある他の国々はすべて蛮族と見なされていました。
    20世紀初めに朝鮮を訪れたスウェーデン人記者アソン·クレプストが、朝鮮の死刑方法を見物しようとソウルのある監獄を訪れたことがあります。彼に会った監獄所長は「あなたの背中を一度触ってみても良いですか?」という質問を受け、背中を突き出しました。背中を触った監獄の所長は「あなたの背中にはなぜ角がないのか?」と反問したそうです。おそらく監獄の所長はスウェーデンというところが背中に角が生えている怪物たちが住んでいるところだと思っていたようです。
    20世紀初めの朝鮮官吏の考えがこのように未開だったということは、朝鮮人がどれほど世界について無知だったかを物語っています。朝鮮は日本を「海の中の島に住む蛮族」と考えました。
    それで朝鮮の王たちは日本に行く通信使たちに「日本に行って未開の日本人たちに中華の徳化を広く伝えてこい」と言ったそうです。コメディーみたいです。

  • >朝鮮の王たちは日本に行く通信使たちに「日本に行って未開の日本人たちに中華の徳化を広く伝えてこい」と言ったそうです。
    現代の韓国でもこんな認識があるかもしれません。
    ただ、日本人も通信使に漢詩をプレゼントされて喜んでいました。
    完全ではないですが、友好親善は確かにありました。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。