韓国人の知らない日韓の歴史 朝鮮出兵・元寇であったコト

 

日本と韓国は古代から隣同士だから、接点も共有する歴史も多い。
でも、「話せば違いがわかる」というのが現代の日韓の歴史認識だ。
この中央日報のコラムもそう。(2022.10.06)

朝鮮倭軍墓、日本の耳塚…壬辰倭乱の「2つの墓」

16世紀に豊臣秀吉がした朝鮮出兵を韓国では「壬辰倭乱」という。
この出兵では1597年に鳴梁(めいりょう)海戦があり、上のコラムでは、李舜臣将軍が13隻の船で133隻の日本の船を撃破し、この戦闘は“壬辰倭乱”を「終わらせるのに決定的な役割をすることになった」とある。

でも日本側の認識はまったく違う。
まず、このときの日本の船は数十隻で3ケタもない。
それに朝鮮軍は日本軍の中型船30隻を攻撃してダメージをあたえた後すぐに退却し、結局は制海権と拠点を日本軍に奪われている。(鳴梁海戦
李舜臣の記録(乱中日記)にも撃沈を確認できる記述はないから、「133隻の日本の船を撃破し」どころか、実際には一隻も沈んでいないかもしれない。
鳴梁海戦が果たしたという、戦いを終わらせる「決定的な役割」も具体的な内容と根拠がナゾ。
というのは、その後の展開はこんな感じだったから。

漢城では日本軍の接近でパニックに陥っており、人々は逃走をはかりほとんど無人となるほどであった。

慶長の役

 

李舜臣がすぐれた将軍だったことは間違いないとしても、日本からすると韓国の記述は、家系ラーメンならよろこびが止まらないマシマシ。
同じ出来事でも、まったく違う記述になるのは「日韓の歴史あるある」のひとつ。

 

韓国には、鳴梁海戦で亡くなった日本兵の遺体を埋めたと伝えられる「倭徳山墓地」がある。
倭徳山とは「倭人に徳を施した」の意味。
コラムで紹介されている「2つの墓」の一つがこれで、もう一つは岡山県にある耳塚(鼻塚)だ。
朝鮮出兵の際、日本兵は倒した敵の耳や鼻をそぎ取って、それを持ち帰ったものを埋めた場所が耳塚になる。
まず当たり前のことだがこれは最近の話ではなくて、400年以上も前のこと。
戦国時代の常識を21世紀の常識で判断してはいけない。
この時代の戦いでは倒した敵兵の数によってもらえる褒美が決まっていたから、兵士は自分の戦功の証拠として、討取った相手の耳や鼻を持ってくる必要があった。
これは日本人同士の戦いでも同じだ。

その検分が終わった後、耳や鼻を埋めて供養するために塚(墓)がつくられた。
死体の耳や鼻を刃物でそぐことには残酷なイメージがあるが、当時の武士にとって“戦果”を持ち帰ることは重要な仕事のひとつだったから、これは個人的な感情に関係なくしなければいけない。
くり返すが、現代の人権感覚をこの時代の行為に当てはめるのは無意味。
それにお墓(塚)が残っているということは、用済みになると“ポイ捨て”したのではなく、当時の日本人は敵兵でもあっても、死者の供養を大切に考えていたことがわかる。

京都の耳塚には1597年に、秀吉が朝鮮兵のために供養を行なったという記録が残されている。

この施餓鬼供養は秀吉の意向に添って相国寺住持西笑承兌が行ったもので、京都五山の僧を集め盛大に行われたようである。

耳塚 

京都の耳塚に行くと、たくさんの韓国人観光客がいた。
ここは韓国ではけっこう有名らしい。

 

日韓の歴史で韓国メディアが強調するのが日本の残酷性で、韓国側がしたことは基本的にスルーされる。
韓国にとって朝鮮出兵が侵略なら、13世紀にモンゴル・朝鮮(高麗)軍が攻めてきた元寇も日本にとっては侵略だ。
このときモンゴル・朝鮮の兵が日本の町を焼き払い、逃げる民間人を殺したことは韓国では伝えられていない。
もちろんこんなことも。

産経新聞(2014/6/14)

生け捕りにされた女性は手のひらに穴が開けられ、ひもを通されると数珠つなぎにされ、日本の攻撃をかわす盾として船壁に並べられたという記述は残酷で生々しい。

元寇・文永の役(中) 赤ん坊を股裂き、子供を奴隷として拉致、女性は手に穴開け数珠つなぎ…博多を血と炎で染めた蒙古・朝鮮軍の残虐・非人道行為

 

山に逃れた人たちを見つけると、朝鮮の兵士は「全員を殺害し、赤ん坊も股裂きなどにした残虐な話は数知れず」という。
また200人の少年・少女を連行し、奴隷として国王と妃に献上したことが高麗側の記録で確認されている。
壱岐では武士だけでなく、一般島民の死体の山が築かれ生存者はわずか65人だったという。

韓国の教科書やメディアがこんな歴史を伝えたという話は聞いたことない。
さらに韓国に「倭徳山墓地」があるなら、日本には鎌倉に円覚寺がある。
元寇で亡くなった兵を敵味方の区別なく、平等に弔うために北条時宗は円覚寺を建てた。

【イイハナシダナー】アジア人、円覚寺で“日本人の心”に感動

上の歴史を知っている韓国人は超例外で、実質いないと言っていい。
なぜならそんなことは誰も教えないから。

 

隣り合った国同士で数百年前にさかのぼれば、叩くとホコリが出てくることは世界中である。
でも、「どっちが非人道的か?」なんて残酷さを競い合っても意味はないし、大昔の出来事を現代の人間に重ねて憎悪の感情を持ってもいけない。
朝鮮出兵や元寇で蛮行があったとしても、21世紀に生きる人間はその歴史を知るだけで十分で、相手を責める気持ちも罪悪感もイラナイ。
上の韓国メディアのコラムは「日本の謝罪が前提だ」、「日本責任論」と数百年前の歴史と現代の政治問題をリンクさせているが、日本は元寇を持ち出してそんな主張をしなくていい。

被害者と加害者はいつも同じではなくて、歴史が変われば立場も入れ替わる。
でも韓国における日韓の歴史ではそれがなく、いつも固定されていて、それに合わない出来事や見方は排除される。
だから日本と韓国が歴史について話し合うと、基本的に認識は合わないけど、「お互い一致できない」という点では一致できる。

 

 

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2 件のコメント

  • 取は最も古い漢字で甲骨文としても刻まれていたらしいですが、これは耳と手の組み合わせで、耳を取るという意味ですよね?

    切腹にしても斬首にしても、中国の文化が元ですし、当然、中国では日本より数千年前から敵を討った証拠として首をとっていたのではないでしょうか
    持ち運ぶには手間がかかりますし、腐敗しますので
    中国でも朝鮮でも、朝鮮出兵でそうであったように、重要度が低い敵からは、耳や鼻などを代わりに取っていたのでは

    日本より何百年も前に中国人の支配を受け、文明が開けた朝鮮半島であり、なおかつ朝鮮文化は中国の食文化にも色濃い影響を残した食肉文化を持つ騎馬遊牧民族と同じ流れにありますから、やはり朝鮮半島でも内戦や、歴代中華王朝や、陸続きにある文化的に同系統の北方系の民族、元寇など日本との戦争などでは、首の代わりに耳や鼻などを取ることもあったのでは

    肉食の文化圏の方々は、人を切り刻むことに関しても長けていたと思いますし、罪人の処刑方法にも伺えます
    日本人が魚を切り刻むことに抵抗感が低いように、肉食文化圏の人々は、獣の解体の延長線上で人を切り刻むことに対しては、日本人より比較的低かったと思います

    中国や朝鮮半島では、凌辱し、相手を苦しめるために生きたまま肉を削いだり、死体を凌辱し、墓をあばいて貶めたりするのは珍しいことではなく、
    また、中華思想や儒教などの観点からも、文化的に劣る野蛮な日本人ごときが、同胞の亡骸を毀損するのはけしからんというのもあるので、耳や鼻を日本人が削ぐのは許せない、恨の文化で忘れられず、憤りも二重三重に膨らんでしまうのでしょう

    サイコパス的な見方をすれば、武士が敵を押さえ付け、生きたまま首を落とすより、死体から耳や鼻を削ぐ方が、比較的ましなのではと考えてしまいます
    別に、相手が韓国人だから鼻や耳を削いだわけでもないですし
    日本人同士の間の戦いでも、普通に行われていたことをやったに過ぎない

    勿論、そもそも論で言えば侵略ですし、それを言われれば何も言い返せませんが、
    であれば元寇の日本人に対する行為はどうなんだという話になり、
    その場合、なぜか中国人や韓国人は日本人に対して罪悪感はない人が多い気がします
    むしろ、肯定的な人は少なくない

  • 「耳」の漢字がいつ、どのように出来たかは分かりませんが、数百年前なら世界はどこも残酷だったでしょうね。
    でもそれを理由に相手を責めたら、キリがありませんしブーメランにもなります。
    過去は過去として、切り離して見ないとダメです。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。