日韓併合前、日本人は朝鮮をどう見ていたのか? 一次史料で知る

これから100年ほど前にタイムスリップして、当時の日本人が隣国についてどう思っていたかを見ていこう。

当時の日本人は、善悪ではなく「国益」で考えていた。
では、現代の私たちはどんな基準で相手国を考えているのか?

今回の話は単なる過去の話ではなく、現在の日韓関係を考えるうえでも、出発点になる重要なテーマだ。

目次

韓国に残る「日本人町」の面影

このブログの韓国人読者さんが、韓国東南部・九龍浦(クリョンポ)にある「日本人家屋通り」の写真を送ってくれた。

ここは元々小さな漁村だったが、1900年ごろから日本人の移住が始まり、神社、小学校、旅館、食堂などが建てられ、「日本人町」を形成した。

今では、日本統治時代の雰囲気を感じられる「日本人家屋通り」として観光地になっている。
同じく日本統治を経験した台湾では、当時の建物が各地で保存されているが韓国では珍しい。

せっかくなので、今回は写真をちりばめながら、当時の日本人が韓国(朝鮮)をどう見ていたかを書いていこう。

 

『日本人家屋通り』での一枚(トップ画像も)。
日本人からすると、「初めてなのに懐かしい」という印象をうける。

 

荒川 五郎(1865年 – 1944年)
日本の政治家、ジャーナリスト、教育者。

教科書には載らない「一次史料」から読み解く歴史

「1910年に日本が韓国を併合した」

歴史の授業で必ず習うこの出来事について、教科書には基本的に「いつ、何が起きたか」という結果しか書かれていない。
歴史教育では政治的中立の立場から、客観的な事実だけしか伝えられないから、履歴書のような内容になるのは仕方ない。

しかし、当時の日本人は、隣国である朝鮮半島(大韓帝国)をどのような目で見ていたのか? 一方的に見下していたのか、それとも、何か別の感情があったのか。

現代のネット上では親韓、嫌韓の極端な意見があふれているが、真実を知るためには、当時の人が書いた「生の記録(一次史料)」を読むのが一番だ。

 

日韓併合の4年前、1906年、衆議院議員だった荒川 五郎が朝鮮半島を視察して『最近朝鮮事情』を記した。
後世の誰かが特定の意思で手を加えた歴史ではなく、当時のフィルターを通して世界を見ることで、複雑な日韓関係を理解する手がかりを得ることができる。

もちろん、これは荒川が見聞きしたことにもとづく彼の主観で、どこまで一般化できるかわからない。
それを前提に、当時の日本人が抱いていた「リアルな本音」を見ていこう。

日本にはない大河

明治時代、オランダ人の土木技術者デ・レイケが日本の川を見て、「これは川ではない、滝だ」と言った。日本は山が多いから、平地のオランダと比べると、滝のような急流に見えてもおかしくない

大陸続きの朝鮮半島へ渡った荒川が圧倒されたのは、島国の日本にはないスケールの大きさの川だった。
彼の記録にはこんな記述がある。

「大きいのになると日本では観られないほどの大きな川がある。鴨緑江、大同江、洛東江らがすなわちそれで、これに漢江、豆満江を加えて朝鮮の5大江と呼んでいる。」

このほかにも、清川江や錦江、臨津江などの「大流れの大河」があったという。
彼は単に雄大な川の流れに感動しただけでなく、蒸気船が行き交う様子に注目して「その運輸の利は少なくない」と指摘している。

富国強兵を目指す当時の政治家らしい視点だ。

 

城壁で囲まれた韓国・水原市の街

城壁都市|日本と違う街のつくり

荒川は、人々の暮らす街の構造で日本との違いを感じた。

「何れの府城でも、石を築いて上げて高い郭壁を作り、外からよじ登ったり飛び込んだり決して出来ぬようにしている。」

日本のいわゆる城下町と、朝鮮や中国の都市とでは、根本的な防衛の考え方が異なっていた。

日本の城は「大名を守るための砦」で、一般の町人などは城の外に住んでいた。しかし、地続きで異民族の侵略を受けやすい大陸や朝鮮半島では、街全体を高い石壁でぐるりと囲い、人民ごと守る「城壁都市」が基本だった。

出入り口にも石を積み上げて高い半月形の門を作り、その上には大きな楼を建てている。
この城楼からは内側も外側も見張ることができ、また城門を閉じたら、誰も出入りすることはできない。

朝鮮の都市はこうやって安全を守っていた。
「これは支那や朝鮮の城と日本の城とは大いに異なる所である」と書いている。

※「支那」は中国のこと。現代では中国への侮辱語としてNGワードになっている。

「三豊一凶」にみる近代化の遅れ

一方で、荒川は厳しい評価もしている。

「朝鮮には三豊一凶という言葉があるくらいで、3年に1度は大水で荒れるものと観念している。情けない話で天からの立派な恵みを、人の手の不行き届きのために沢山失っているのである。」

3年に1度は洪水が発生し、大凶作になるという。

これは自然の問題ではなく、「治水や制度の未整備」が原因だ。
当時の日本と比べると、朝鮮半島では、木々が伐採され尽くした「はげ山」が多かった。
それに加え、護岸工事をしていなかったから、河川の氾濫を防ぐことができないでいた。

日本の川は(完全ではないが)人間の「管理下」にあるが、朝鮮の川はいわば「野生状態」だった。そのため、荒川が朝鮮で見た川は濁っていて、「川の底を見るなどめったに出来ない」という状態だった。

彼はこうも書いている。

「山も無く川も無いとすれば、したがって田園も無い人家も無い、遂には朝鮮も無い」

緑豊かな山や整備された川が無いから、まともな田んぼや畑も無い。それでは民衆はまともな生活を送れないから、結果として国としての発展もない、という意味だろう。

「日本のものになる」という発想

荒川は朝鮮半島を見て回って“潜在力”を感じた。
予算がかかっても河川の修築に力を入れ、水害が無くなるようになれば、年々の利益は決して少なくない。
財産を得て、一時の出費などはわけなく戻ってくるだろうと予測した。

これが、当時の朝鮮政府になかった発想だ。朝鮮の役人が現状を正確に把握し、未来の利益を予想して、長期的な視野に立って計画的にものごとを進めることはなかったと思う。

朝鮮の王や役人は国を私物化して、民衆の生活を豊かにするために投資をするどころか、庶民からワイロを奪っていた。
これで国が発展するわけがない。

20世紀のはじめには、日本と埋められないほどの差がついた。当時の日本は朝鮮のはるか先を行っていたから、荒川のこんな見方が出てくる。

「もしも日本の力で朝鮮の山を作り、朝鮮の川を作ったなら、そこで田園も出来れば財産も確実になってくる。したがって村も出来れば家も出来る。国も富む。朝鮮も出来る。そうなれば朝鮮は日本がこしらえたので、朝鮮は日本のものになる。」

日本の金や技術で開発すれば朝鮮は豊かになり、やがては「日本のもの」になるという。

荒川の言葉を現代の価値観で判断してはいけない。
100年以上前の世界には、その時代に合った常識や論理があったのだから、21世紀の人間が倫理的に善悪の色付けをすると、歴史を客観的に、正しく理解することができなくなる。

当時は、欧米列強がアジアやアフリカを植民地化していた帝国主義の時代だった。強い国が弱い国をのみ込み、そこを「開発」や「近代化」をすることは常識的にあった。

日本はそんな国際秩序の中にいたから、荒川がこんな意見を持っていてもおかしくはない。

 

現在の韓国で伊藤博文(後列の真ん中)は「侵略の元凶」とされ、かなり嫌われている。
しかし、彼は韓国文化を尊重していて、民族衣装の韓服を着て記念写真を撮ったこともある。

韓国人の知らない歴史秘話だから、知人の韓国人にこの写真を見せても、「AIで加工したものじゃないですか?」と最初は信じてもらえなかった。

韓国にとって伊藤博文は、ヒトラーと同じレベルの“悪魔”か?

 

もちろん、日本人が全員同じ考えだったわけではない。たとえば、韓国統監として、大きな権限を持っていた伊藤博文は日韓併合に反対していた。

しかし、荒川のほかにも、朝鮮は「未開」ではなく「未開発」の状態にあり、成長の可能性を感じた日本人もいたはずだ。

100年前の日本人は善悪ではなく、帝国主義時代のリアルから、「開発すれば利益を生む土地」と見ていたと思う。
「対ロシア」を考えると、朝鮮半島は戦略的に重要な地域だった。

当時の人の記録は、現代の日本人や韓国人が持つ政治的な意見や、好き嫌いの感情を超えたところにある。信頼できる一次史料を知ることで、歴史をより立体的に理解することができる。
現在の日韓関係を考える際には、そんな冷静な態度が必要だ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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