【韓国の渋沢栄一】130年の日本人が感じた朝鮮経済の停滞

 

今月になってから新札が発行され、SNSでは「ついにゲット!」という声がチラホラ聞こえてくる。
新しい日本の最高紙幣のデザインとして選ばれたのが、明治時代の実業家で「日本資本主義の父」と呼ばれる渋沢栄一。
彼は日本にとっては偉人でも、韓国では悪者とされている。
しかし、伊藤博文を暗殺した安重根は韓国では英雄とされているが、日本ではテロリストと見なされるように、同じ人物でも評価がひっくり返ることは「日韓あるある」で、渋沢もその一例でしかない。
韓国で嫌われているのは、彼が1902年に韓国初の紙幣を発行し、「経済収奪の主役」と考えられているからだ。

韓国メディアで渋沢栄一は「経済侵略の張本人」や「日帝植民地経済収奪の尖兵」と強く非難されているが、彼が侵略を意図していたという根拠や、経済収奪を目的として紙幣を発行したという説の証拠はまったく示されていない。
韓国通のジャーナリスト・黒田勝弘氏は、1898年に渋沢が大韓帝国の皇帝だった高宗と会って経済改革などについて話し合い、その結果の一つに紙幣発行があったと指摘し、「韓国の経済発展に大いに寄与した」と書いている。

近代化に貢献 vs 経済侵奪 日韓で逆転する渋沢栄一の評価

日本はいきなり朝鮮の主権を奪い、統治をはじめたわけではない。
日露戦争中の1904年に第一次日韓協約、1905年に第二次日韓協約、そして1907年に第三次日韓協約を結んで徐々に影響力を強めていき、1910年の日韓併合条約で完全に統治下においた。
第一次日韓協約の後に日本政府から派遣され、韓国の財政顧問を務めた目賀田種太郎は、韓国の造幣局を閉鎖し、韓国の通貨改革をおこなった。
韓国で初めて紙幣が発行された1902年の時点では、日本にそんな強い力はなく、韓国政府が主導権を握っていたから、渋沢栄一に「経済侵略の張本人」になれるほどの実力があったとは思えない。
高宗が紙幣の発行を知らなかったわけはなく、あれはきっと皇帝との“コラボ”だ。

 

渋沢栄一は多くの企業を設立したが、自分の名前を付けた会社は一つもなかったし、自身の子どもたちに受け継がせた会社もなかった。
彼は大金持ちになったが、医療や福祉、教育などの面で貢献をおこなって資産を社会に還元し、子孫にはわずかな額しか残さなかった。

韓国では新札発行をきっかけに、渋沢栄一について「経済侵略の中心人物」として憎悪されているが、彼が国家と社会のために貢献した事実は知られていない。
怒っているだけではなく、渋沢の生き方から学ぶべきこともあると、朝鮮日報のコラムが韓国の読者に訴えた。(2024/07/28)

渋沢栄一の生き方を振り返ってみると、私利私欲を遠ざけ、自分よりも社会全体の利益を優先する面を発見できる。今の韓国人には、憤怒を超え、教訓が必要だ。

韓国社会の渋沢栄一論争、憤怒だけで終わらせるな

 

現在の韓国社会はこの逆で、韓国全体の利益よりも、私利私欲を優先する政治家や起業家が多いことを批判しているのだろう。

 

19世紀の末期に朝鮮を旅した日本人の本間九介は、当時朝鮮で流通していたお金はコインだけで、紙幣がなかったと書いている。
そんなお寒い経済状況にあったから、日本人が紙幣を取り出すと朝鮮人が集まってきて、

「こんなものを通貨というのは、もしや日本人は、私たちを欺こうとしているのではないか」

とあやしんだという。
朝鮮時代、国内の経済は停滞し、日本よりも遅れていたため、国民は紙幣の概念が理解できなかったのだ。
『ドラえもん』で異世界に行くかタイムスリップしたら、こんな展開がありそう。

ソース:「朝鮮雑記――日本人が見た1894年の李氏朝鮮 (祥伝社) 本間九介」

 

19世紀の末期、韓国(大韓帝国)政府は他国に比べ、自国の発展が遅れていたことに気づいていて、近代化を目指していたたから、「日本資本主義の父」の渋沢栄一に相談したのだろう。
当時の日韓の関係は、現在の反日・嫌韓感情とはまったく別の次元にあった。
社会に紙幣がなかったら、近代化なんて夢のまた夢だ。
「1万円」と書かれていても、本当にその価値がなかったらただの紙切れでしかない。
当時の韓国政府に紙幣を発行し、流通させる能力や国民の信用があったとは考えられない。

1876年に日朝修好条規が結ばれた際、朝鮮国内で日本のお金が使えることが決められ、日本人の居住者たちがそれを使っていた。特に、1895年に日清戦争で日本が勝利した後、日本人の経済活動は活発になった。
こうした状況が前提としてあり、渋沢が発行する紙幣は日本円との引き換えが保障されていたから、韓国民の信用を得て国内で流通していったのだろう。
貨幣経済の発達を「韓国の経済発展に大いに寄与した」と考えるのは常識的だ。
韓国社会で、渋沢栄一についての論争を「憤怒だけで終わらせるな」というのなら、大韓帝国の国民が紙幣を見てもまったく理解できなかった状況から、朝鮮時代に経済が発達しなかった理由について考えてもいい。
それが国を失う大きな原因になったのだから。

 

 

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3 件のコメント

  • > 「こんなものを通貨というのは、もしや日本人は、私たちを欺こうとしているのではないか」
    とあやしんだという。
    > 朝鮮時代、国内の経済は停滞し、日本よりも遅れていたため、国民は紙幣の概念が理解できなかったのだ。

    いやいや、その気持ちは30年くらい前に初めてアメリカで暮らした私にはよく分かります。
    当時、現地のスーパーマーケットに行った時の話です。個人小切手 personal check がこれほど社会に普及していること、小切手帳は口座を開設した銀行が発行してくれるものだということ、クレジット・カードに漢字の署名がしてあってもそれは「珍しい」だけ(それを見たスーパーのレジのお姉さんが周りのレジ係を「ねぇねぇこれ見て!」と呼び集めて大変な騒ぎになった)であり、当時のアメリカ社会では漢字のサインなんて全く証明力が無いこと、また当時は使う人によって時には紙幣でさえも信用力が無いこと(マクドナルドで100ドル札にサインを求められたのには驚いた)、いずれも勉強になりました。
    その時の経験から、世の中の経済システムは信用(つまりcredit)で動いていることを、思い知らされました。
    世界は広い。日本の常識が通じない国が、この世にはいっぱいあるのだと。

  • 現在、韓国人が「地獄」と考える20世紀初頭の日本帝国主義統治時代は、実際には朝鮮人に真に人間らしく生きる権利を与えた近代でした。朝鮮王朝は彼らの絶対権利を奪われず、民を搾取する考えを捨てることはできませんでしたが、外部から押し寄せる近代化の波の中で社会の混乱は激しかった時代に日本の国益とあいまって朝鮮が日本に統合され、朝鮮人は真の近代人として生まれることができました。韓国人の仇と考える伊藤博文や経済侵奪の仇と考える渋沢栄一も、いずれも朝鮮の近代化に努めた人物です。もちろん、彼らは朝鮮のためではなく日本のためにそのようなことをしましたが、結果的に朝鮮人が近代人に生まれ変わりました。
    現在の韓国人は彼らを憎むのではなく、自ら近代化を成し遂げられなかった朝鮮王朝と政府の失政を反省しなければなりません。

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    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。