日本とロシア|大津事件〜日露戦争
5月27日は、歴史を振り返ると、日本とロシアについてこんな2つの重大な出来事があった日だ。
1. 1891年:大津事件の判決
1891年のこの日、大津事件の裁判で被告の津田三蔵に対し、無期懲役が言い渡された。
大津事件とは、訪日していたロシアの皇太子ニコライ(後のロシア皇帝ニコライ2世)が、警察官の津田三蔵にサーベルで襲われて頭に怪我を負った事件のこと。
当時、「ロシアが日本に攻めてくる!」と日本中がパニック状態となる。
神社や寺ではニコライの回復のための祈祷が行われ、学校は「反省」の気持ちを表すために休校となった。

2. 1905年:日本海海戦で大勝利
1905年、東郷平八郎が率いる日本の聯合艦隊とロシアのバルチック艦隊が激突。
日本はこの日本海海戦で大勝し、日露戦争で日本を勝利に導いた。

日露戦争の勝因
1891年の時点では、日本がロシアと戦って勝てる可能性はゼロに等しい。日本が負ければロシアの植民地になるか、北海道など一部を奪われていただろう。
だから、「おそロシア」と日本中が震えたのも当然。
しかし、1905年になると、日本もかなり消耗したが、最終的にはロシアを撃破することができた。
この歴史的勝利は欧米には驚きを与え、アジアには希望を与えた。

日露戦争で勝利を収めた要因には、日本が軍事力を強化し、鉄の安定供給を可能にし、国際的な信用を得たことがある。
それを可能にしたのが、大津事件と日露戦争のあいだに起きた日清戦争だ。
日本はこの戦いに勝ち、現在の価値で550兆円を手に入れ、それを有効利用してロシアを倒すほどの「大国」に生まれ変わることができた。

日露戦争のとき、兵士には体調管理のため正露丸が配られた。
当時はロシアを征伐するという意味を込めて「征露丸」という名前だった。

日清戦争に勝ち、550兆円をゲット
日本はこれに勝利し、賠償金として清から2億両(約3億1000万円)と「プラスα」の合計約3億6,000万円を手に入れた。
当時の日本の国家予算はおよそ8,000万円だったから、これはその4.5倍というとんでもない金額だ。
現在の水準でみると、これはどれくらいの価値になるのか?
2026年度の日本の国家予算が約122兆円だから、日本は約550兆円という破格のボーナスをもゲットしたことになる。
一方、負けた清は散々だ。
国家として取り返しのつかないダメージを受け、1911年にはじまった辛亥革命によって滅亡した。
三国干渉の屈辱
しかし、歓喜はすぐに消え去った。
日本が清国を破った直後、ロシアがドイツやフランスに働きかけて「遼東(リャオトン)半島を清に返せ」とせまってくる。
有名な「三国干渉」だ。
対抗手段がなかった日本は泣く泣くこの三国干渉を受け入れ、強烈な屈辱を味わった。
逆にロシアは、これで遼東半島の旅順と大連を「租借」という形で手に入れてしまう。
日本としては「果実」を横取りされたことになり、ロシアへのリベンジを誓う「臥薪嘗胆(がしんしょうたん)」がスローガンになった。
魔太郎なら「コノウラミハラサデオクベキカ」と言っていたところだ。
単に感情的に反発しただけではなく、南進してくるロシアは日本の安全保障にとって重大な脅威を与えたからだ。
賠償金の使い道
力がなければ、国際社会では相手にされないし、生き残ることもむずかしいーー。
三国干渉という厳しい現実は日本の認識を変えた。
日本政府は賠償金の使い道について議論した結果、近い将来に起こるだろうロシアとの戦いにそなえ、軍事力の増強を最優先することにした。
日清戦争の戦費と軍拡のために3億500万円(84.5%)が割り当てられたから、ほぼ「全集中」といっていい。
では、その内訳を具体的にみていこう。
1. 海軍の近代化(六六艦隊計画)
日本はとくに海軍の強化に力を入れ、「六六艦隊計画」と呼ばれる海軍拡張計画を実行した。
これは、主力となる戦艦6隻と、装甲巡洋艦6隻を基幹とする大艦隊を造り上げるという壮大なプランだ。
しかし、このときの日本には資金はあったが(謝謝中国!)、最新鋭の大型戦艦を造る高度な技術はなかった。
そのため、「対ロシア」で同盟を組んでいたイギリスにそれを依頼した。
当時、イギリス(大英帝国)の海軍は「世界最強」と言われていたから、これほど確実な相手はいない。
日本海海戦で大活躍し、日本海軍の象徴となった戦艦「三笠」も、賠償金をもとにイギリスで建造されたものだ。
2. 陸軍の強大化と八幡製鉄所の設立
もちろん、陸軍も大幅に増強された。
日清戦争のころには7個師団だったのが、軍備拡張によって常設の師団を13個師団へとほぼ倍増させた。
これで将来、強大なロシア陸軍と戦う最低限の準備はできた。
そして、清の賠償金によって1901年に官営八幡製鉄所が建設され、安定して「鉄鋼」を生産できるようになった。
戦争では膨大な鉄が使われる。
八幡製鉄所が生み出す鉄鋼が、武器の生産や鉄道建設などに使われ、日露戦争での日本の勝利を呼び込み、また近代化も推進した。
サンキューチャイナ!
3.「イギリスポンド」で金本位制を確立
さらに、地味に見逃せないポイントがお金の「種類」だ。
日本は清から賠償金をイギリス金貨(ポンド)で受け取り、それをロンドンの銀行に預けた。
そして、これをもとにして、1897年に銀本位制から金本位制に移行する。
これによって、「日本の通貨はいつでも金(ゴールド)と交換できる」というシステムを整え、日本は国際的に信用される国となった(日清戦争)。
日露戦争では、これが重大な結果をもたらす。
日本の資金だけで、莫大な戦費をひねり出すことはできなかったため、海外からお金を借りる必要があった。
このとき、金本位制によって高い信用を得ていたから、日本はユダヤ人の資本家などに国債を買ってもらい、戦費を調達することに成功したのだ。
日清戦争後、日本はパワーアップ
日露戦争の勝因については、秋山真之や東郷平八郎ら名将たちの戦術、兵士たちの士気の高さ、ロシアに比べて戦場が近かった、明石元二郎の諜報活動など、さまざまなものがある。
しかし、日清戦争で勝った後、ロシアを仮想敵国と定め、賠償金を使って以下の3点を実現したことも大きな勝因となった。
・陸海軍を増強した。
・八幡製鉄所を建設し、自国で鉄鋼の安定生産を可能にした。
・金本位制度を確立し、物価の安定を図るとともに国際的な信用を得た。
大津事件があったときの日本は力不足で、ロシアに勝つことは不可能だった。
しかし、天から降ってきたような資金を最大限有効に使い、日本はパワーアップすることに成功した。
日本が日清戦争のビフォー・アフターで別の国になったことが、ロシア撃破の大きな要因となったのだ。
日本の勝利に貢献し、自身は滅亡した清王朝には心から哀悼の意を表したい。

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