もう1年以上もつづいているウクライナ戦争。
最近では東部の要衝バフムトをめぐって、ウクライナ軍とロシア軍との間で激しい戦闘が行われている。
一方、日本ではきのうSNSのトレンドワードに、「しゃもじ」と「必勝しゃもじ」が上位に入った。
ナニソレ? と思ったら、ウクライナへ電撃的に入国して、ゼレンスキー大統領と会談した岸田首相が「しゃもじ」を渡したからだった。
首相の地元・広島には「必勝」の文字が書かれた名産品の「必勝しゃもじ」がある。
明治時代におきた日露戦争では「(しゃもじで)飯取る」から、「敵をめし取る」という語呂合わせで縁起物になったという。
「祖国や自由を守るために戦っている努力に敬意を表したい」という首相の思いにネット民の感想は?
・千羽鶴並のいらなさ
・今頃ゼレンスキーは頭抱えているわw
・ヨネスケの隣の晩ご飯みたくデカいのは勘弁
・最後の1兵まで戦えという強いメッセージを感じたね
・こんなもんをインド経由で極秘輸送したのか
「日露戦争で日本はロシアに勝利した。このしゃもじはその縁起物か。よし、これで勝つる!」とゼレンスキー大統領が思ったかは、これから大統領の背後に「必勝しゃもじ」が飾ってあるかどうかで判断しよう。
いちばん大事なことは会談の中身だったのに、「しゃもじ」のパワーワードで吹き飛ばされてしまった。
調べたら、しゃもじは広島県の宮島で生まれたらしい。
もともとコレといった売り物がなかった宮島で、江戸時代に誓真というお坊さんが、弁天さまが持ってる琵琶と似た形の「しゃもじ」を、宮島へ参拝に来た人へのお土産として売り出すことを提案したのがはじまりだとか。
征露丸の広告(1930年代)
日露戦争で活躍した縁起モノには、「天気予報」と書いたお守りもあるという。
日本で本格的な天気予報が始まったのは明治のはじめごろで、気象衛星もなかった時代に正確な予報をできるワケもなし。
予想がさっぱりあたらないことから、日露戦争で戦地に向かう兵士が「天気予報」と書いた紙を弾除けのお守りとして持っていたという話がある。
日露戦争では、「露西亜(ロシア)を征する」の意味で日本軍の将兵に「征露丸」が配られた。
これを一文字変えていまの「正露丸」になる。
「必勝しゃもじ」や「天気予報のお守り」の精神的効果は未知数として、征露丸のおかげで、下痢や腹痛を理由に戦線離脱する兵士は激減したというからこれは有効だった。
でも、マジレスをすると、日露戦争で日本が勝利した大きな要因は 下瀬火薬だ。
発明家の下瀬 雅允(しもせ まさちか)が開発したこの火薬は超高性能で、当時は世界でもっとも強力な爆発力があったのだ。
このチート級の火薬を使って、日本軍は「日本海海戦」でロシアのバルチック艦隊を撃破することに成功した。
異次元の破壊力を目の当たりにして、ロシア軍の軍人は下瀬火薬をこう表現する。
「之は全く新発明の物である。艦側に中り、甲板に落つるものは砲弾では無く、水雷じゃ無かろうかと疑わるる程である。」
ゼレンスキー大統領がいまほしいものは、下瀬火薬のような戦局を変えられる強力兵器のはず。
でも、日本にあるかどうかは別として、それを提供することは憲法が許さない。
となると、やっぱり「必勝しゃもじ」ぐらいしかないか。
退役する74式戦車をあげればいいのに、ロシアには有効だぞ。
強力な戦車でも憲法の壁をブチ破るのは無理でしょうね。