「日本で三ツ矢サイダーが販売された(1884年)ころ、日本人は鹿鳴館で外国人とダンスを踊っていた」
ちょうどこのころは、明治日本が文明開化をしていた時代。
以前の記事でそんなことを書いた。
こんな記事を書こうと思ったのは、「日本人が一番驚いたロングセラー商品はなにか?」という「gooランキング」を見たことがきっかけ。
三ツ矢サイダーも!実は“100年超え”のロングセラー商品ランキング
今回の記事はその続き。
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の2位を紹介して、そのとき日本でなにか起きていたのか?ってことを紹介していきたい。
チョイと日本の歴史を勉強してみませんか?
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の第2位は、トマトケチャップ。
gooランキングによると、1908年(明治41年)に日本で初めてトマトケチャップが販売されている。
カゴメのホームページにもそう書いてある。
ちなみに、トマトケチャップの始まりは1899年になるらしい。
蟹江一太郎、西洋野菜の栽培に着手、最初のトマトの発芽を見る
カゴメ印の商標登録は、1917年(大正6年)におこなわれた。
なんで六芒星(ろくぼうせい)のデザインなんだろう?
六芒星といえば、イスラエルの国旗のものが有名。
1908年(明治41年)のころの日本といえば、韓国(朝鮮)との関係をぬきにしては語れない。
トマトケチャップが販売されたころは、日本が韓国への影響力を高めていった時期にあたる。
一方の韓国では、そんな日本への反発が高まっていく。
そんな時代の空気を背景に、1909年、伊藤博文が満州で安重根(あんじゅうこん)によって射殺される事件がおきた。
ここまでを簡単にいったら、こんな感じ。
日本で初めてトマトケチャップがあらわれたとき、大韓帝国は終わりをむかえつつあった。
1945年に日本がアメリカに降伏したことで、韓国は日本の植民地支配から解放される。
韓国では、日韓併合のことを「韓日強制併合」とよんでいる。
これはソウルを旅行していたときに見たバス停。
「韓日強制併合」という言葉が日常生活に定着している。
韓国人の気持ちとしては、「強制」という言葉をつけたほうが正しいのだろう。
でもこのとき、国際社会は日本による韓国併合を認めていた。
日韓併合の3年前に、1907年に「ハーグ密使事件」がおた。
韓国は、韓国に対する日本の行為を世界の国々に伝えたけれど、国際社会はこれを無視している。
これらの動きの中で高宗は、1907年6月に行われる第2回万国平和会議に秘密裏に特使を派遣し、ハーグ密使事件を起こすが、既に日本の権益を認めていた列強からは相手にされなかった。
「ウィキペディア」
日韓併合がおこなわれたときも、国際社会はこれをとくに非難することなく認めた。
日本が満州帝国を支配下に置こうとしときと比べると、そのちがいがわかる。
このとき国連は日本の動きを問題視して、リットン調査団をおくって日本の行為をくわしく調べている。
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