日本で味の素が販売された1909年、安重根によって伊藤博文が射殺されたという記事を前回書いたわけだ。
そのきっかけは、gooランキングの「日本人が一番驚いたロングセラー商品はなにか?」を見たこと。
三ツ矢サイダーも!実は“100年超え”のロングセラー商品ランキング
今回の記事はその続き。
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の7位を紹介して、そのとき日本でなにか起きていたのか?ということを紹介していきたい。
今回の記事は歴史の雑学です。
チョイと日本の歴史を勉強してみませんか?
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の第7位は「正露丸」だった。
正露丸は、1904年(明治37年)に製造・配布されている。
*「gooランキング」では、1904年を「正露丸の始まり」としている。
でも正露丸を販売している大幸薬品のホームページでは、1902年に「忠勇征露丸」を販売したときを正露丸の始まりにしている。
でもこの記事ではそのことは大事ではないから、1904年にする。
1904年に、正露丸は販売ではなくて「配布」されている。
それは、この年におきたことに関係がある。
1904年におきた重大なことはなにか?
1904年(明治37年)に日露戦争がおきた。
日露戦争は、満州や朝鮮の支配権をめぐる日本とロシアとの戦い。
満州とは今の中国東北部のこと。
満州と日本を重ねると、こんな感じになる。
日本は奉天の会戦や日本海海戦でロシアに勝ち、ポーツマス条約にもちこむ。
日本は国力を使い果たして、戦争を続けることがむずかしくなっていた。
でもこのときのロシアに対する日本の勝利は、世界をおどろかせている。
ポーツマス条約のときに使われたテーブル
愛知県の明治村にある。
ポーツマス条約
この日露戦争で、日本軍の将兵に配布されたのがこの正露丸だった。
だからこのころは、今の「正露丸」ではなくて「征露丸」と書かれていた。
「露西亜(ロシア)を征する」という意味。
くわしいことは大幸薬品の「製品ヒストリー」をどうぞ。
日露戦争ではイギリスが日本に味方している。
日英同盟をむすんでいたから。
激戦の末に203高地をおとした。
大連の博物館にこの絵がある。
「日本がロシアに勝利した」
このことはアジアの人たちに大きな影響を与えた。
インド人の歴史家ビパン・チャンドラは、アジアのこんな反応を伝えている。
一九〇五年には日本軍によるロシア軍の敗北は、ヨーロッパの優越という神話をくつがえした、アジアのいたるところで人々は、ちっぽけなアジアの国がヨーロッパにおける最大の軍事大国のひとつに勝利したというニュースを熱狂的に聞いた。
「近代インドの歴史 (山川出版社) ビパン・チャンドラ著」
タイの歴史教科書は日露戦争についてこう書く。
中国とロシアに対する日本の勝利は、ヨーロッパの植民地下にあるアジアの国々に影響を与え、小さな国のアジア人も、白人の大国ヨーロッパに勝てるかもしれないという確信をもたらした。
この勝利はアジア諸国に影響を与えただけでなく、日本は自国の威力に自信をつけた。
「タイの歴史 (明石書店)」
これはインドネシアの歴史教科書だ。
日本のロシアに対する勝利は、アジア民族に政治的自覚をもたらすとともに、アジア諸民族を西洋帝国主義に抵抗すべく立ち上がらせ、各地で独立を取り戻すための民族運動が起きた
「インドネシアの歴史 (明石書店)」
このインドネシアの歴史教科書は、「いまだ闇の中にいたアジアに明るい光を与えたのである」と日本の勝利を「アジアの光」と表現した。
アジアに明るい光を与えた影には正露丸の存在があった。かも。
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