クエスチョン!
日本で初めてトマトケチャップが販売されたのはいつか?
答えは、1908年(明治41年)。
そのころ、朝鮮半島にあった大韓帝国はほろびつつあった。
トマトケチャップが販売された2年後の1910年、日韓併合によって韓国は日本の植民地となる。
前にそんな記事をかいた。
こんな記事をかこうと思ったのは、「日本人が一番驚いたロングセラー商品はなにか?」という「gooランキング」を見たことがきっかけになっている。
三ツ矢サイダーも!実は“100年超え”のロングセラー商品ランキング
今回の記事はその続き。
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の第3位を紹介して、そのときの日本でなにか起きていたのか?ということを紹介していきたい。
チョイと日本の歴史を勉強してみましょう。
「日本人が一番驚いたロングセラー商品」の第3位は、森永キャラメル。
「gooランキング」によると、森永ミルクキャラメルが完成したのは1914年(大正3年)となっている。
森永製菓のホームページにもそのことがかいてある。
でもミルクキャラメルがつくられたのは、1889年(明治32年)のとき。
このときのミルクキャラメルは、今のように箱に入ってはなくて、バラ売りやはかり売りで販売されていた。
森永創業と同時に製造開始 バラ売り・量り売り発売
明治37年(1894年)のとき、ミルクキャラメル1粒の値段は、0.7銭。
当時の天丼の14分の1の金額。
ウチの近所にある食堂の天丼が780円。
それから計算すると、明治のミルクキャラメルは1粒で約56円という感覚になる。2粒で112円。
この時代のミルクキャラメルは、そこそこの高級品だったらしい。
明治時代ではミルクキャラメルを一粒二粒と買っていた。
「ミルクキャラメルをいつでも食べたい!」という消費者の声にこたえて、森永はミルクキャラメルを持ち運べるようにする。
それで、今のような箱入りの森永ミルクキャラメルが完成したというわけ。
これが1914年(大正3年)のとき。
そのとき、日本は?
1914年といえば、第一次世界大戦がおこった年になる。
第一次世界大戦は、人類初の世界大戦。
三国同盟(ドイツ・オーストリア・イタリア)と三国協商(イギリス・フランス・ロシア)とが戦っていた。
第一次世界大戦のきっかけはサラエボ事件。
オーストリアのサラエボというところで、オーストリアの皇太子が射殺された。
暗殺場面を描いた新聞挿絵, 1914年7月12日付(ウィキペディア)
サラエボ事件で射殺されたのが、オーストリアのフランツ・フェルディナントという皇太子。
この皇太子は日本に来たことがある。
京都では本願寺を見学し、箱根では左腕に龍の刺青(いれずみ)を彫ってもらっている。
一説によると、フランツ・フェルディナントは胸にも蛇の刺青を彫っており、サラエボ事件ではその蛇の頭が銃弾に貫かれていたという。
(ウィキペディア)
第一次世界大戦のとき、日本は三国協商(イギリス・フランス・ロシア)に味方して戦った。
「戦った」といっても、日本はあまり戦争にはかかわっていない。
地中海に艦船をだしたり、中国で現地のドイツ軍と戦ったりしたぐらい。
日本は大きな戦いをしていなかったから、人的・物的なダメージは少なくすむ。
日本は第一次世界大戦のときから、いろいろな物をつくってはどんどん外国に輸出していた。
結果として、日本はかなりのお金をもうけることになる。
第一次世界大戦のときの好景気を、「大戦景気」や「大正バブル」という。
大戦景気(たいせんけいき)、大正バブル(たいしょうバブル)とは、ヨーロッパを主戦場とした第一次世界大戦の影響により、その圏外にあった日本の商品輸出が急増したため発生した空前の好景気(ブーム)。
(ウィキペディア)
大正バブルのおかげで、日本には「成金」と呼ばれる金持ちがあらわれた。
成金【なりきん】
第1次世界大戦中の好景気で大きく儲け,財産を蓄積した人をいう。大戦景気は,化学,機械,金属を中心とする資本の蓄積を飛躍的に高め,空前の投機熱も起こり,成金という言葉を生むようになった。
百科事典マイペディアの解説
大正時代の成金
100円札を燃やして明かりにしている。
歴史教科書でこの絵を見た人は多いと思う。
第一次世界大戦のときの大正バブルのおかげで、森永ミルクキャラメルの販売もきっとのびたはず。
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