知り合いに、静岡の大学で学ぶパキスタン人(30代・男性)がいる。
ここでは彼を「ウマル」と呼ぶことにしよう。
ウマルはイスラム教徒の男性によくある名前で、意味は「埋まる」という縁起の悪いものではなく、「繁栄」や「長生き」といっためでたい意味をもつ。
そんな彼と話をすると、日本とパキスタンのさまざまな違いが見えてきた。
「ファイサラバード」の由来
ーーパキスタンには、20年ぐらい前に旅行したことがある。
ウマルはどこの出身? ひょっとしたら、そこが分かるかもしれない。
ウマル:ファイサラバードってところだけど、知っているかな?
ーーそれは初めて聞いた。
なんかRPGのゲームに出てきそうな響きだ。
「砂漠の交易都市ファイサラバード」に行くと強力な武器が手に入る、みたいな。
ウマル:いや、わりと新しい都市だよ。
パキスタンではカラチ、ラホールに次いで3番目に大きい。
ーー日本で例えるなら名古屋か。
ファイサラバードは知らないけど、「なんちゃらバード」なら知ってるぜ。
「バード」はペルシャ語で「〜の街(都市)」という意味で、インドやパキスタンでよくある都市名だろ。
ウマル:そうだ。
1970年代に、サウジアラビアのファイサル国王がパキスタンに経済支援をしてくれたから、彼にちなんで「ファイサラバード」という名前になった。
※「〜の街」をあらわすペルシャ語は、日本語では単に「〜バード」と書くことが多いが、正確には「アーバード」(abat)になる。
ーー「ファイサルの街」か。
外国の王の名前を都市名にするというのは、すごくストレートな感謝の表し方だ。
日本もそのころ、東南アジアの国々に支援をしたけど、昭和天皇に由来する都市名ができる世界は想像できない。
大東亜共栄圏が成立していたら、あるいは…。いや、その想像は危険か。
ウマル:イスラム教を信じる人や国のあいだに壁はないから。
だから、イスラエル軍がガザへ侵攻したら、世界中のイスラム教徒が一つになった。
ーー(パキスタンとアフガニスタンは仲が悪いじゃん。)
その意味では、神道を信仰するのは日本だけだから、「壁」だらけになるな。


日本の支援で建設されたことを示すカンボジアの「キズナ橋」。
天皇の名を冠した地名はないが、東南アジアの各国に、日本に感謝の気持ちをあらわすプレートならある。


AI画伯に描いてもらったファイサラバード。
パリっぽくない?
国境を越えるイスラム教の絆と「ザカート」
ウマル:いま、おまえは「外国の王の名前を都市名にする」って言っただろ?
それは、実はそうでもないんだ。
ーーというと?
具体的にプリーズ。
ウマル:パキスタンもサウジアラビアもイスラム教を国教としていて、ほぼすべての国民が唯一神アッラーを信じている。
さっきも言ったけど、どちらも「イスラムの国」という意味では、国境は関係ないんだ。
ーーつまり、同じ神を信じる兄弟みたいな関係だと。

ウマル:少なくとも俺にはね。
それに、お金持ちのムスリム(イスラム教徒)が、そうでないムスリムを支援するのは当然のことで、それは神の意思でもある。
ーーザカート(喜捨)の考え方ですね、わかります。
(一歩間違えると、日本のネットスラングの「えらそうな◯食」になってしまうけれど。)

無宗教の日本とイスラム教の国の違い
ウマル:来日する前、日本をぼんやりと「仏教の国」とイメージしていた。
でも、実際に住んでみたら、人びとは宗教に関心がないし、社会的にも宗教の影響を感じない。
パキスタンではイスラム教のルールが国のルールになっているから、そこが大きな違いだって感じるね。
ーー日本は世界的に見ても世俗的な国で、伝統的にもそうだったから。
150年ほど前に神道を国教にしようとしたけど、結局うまくいかなかった。政治に宗教を混ぜ込むのは、日本人の価値観に合っていないんだよ。

パキスタンからこんな「無宗教国家」に来ると、戸惑うことも多いだろ?
日本の社会には豚肉やアルコールという、イスラム教徒には危険な地雷がそこら中に埋まっているし。
羊を捧げる「犠牲祭」と命への感謝
ウマル:個人的には、新鮮な羊の肉を食べられないのがツラい。
もうすぐ、イスラム教徒にとって大切な「犠牲祭」があるんだけど、どんな内容か知っているかな?
※ことしは犠牲祭は5月27日。
ーーざっくりとなら。
預言者アブラハムが神から息子をささげるように言われ、息子を殺そうとしたとき、神の慈悲で代わりに羊をささげることになった。
それを祝う祭りだろ?

ウマル:そう。
だから、今でも犠牲祭では羊を解体して、家族や友人といっしょに食べてお祝いをするんだ。
そのときは生きた羊を用意して、「アッラー」の名を唱えてから、鋭い刃物でのどの頸(けい)動脈を一気に切る。
ーーそれがイスラム教の伝統的なと殺方法なんだな。
なんでそんなやり方をするんだ?
ウマル:そうすることで、多くの血を抜くことができるからさ。
イスラム教では、できるだけ肉から血を取り除くことが奨励されている。
そうすることで肉の臭みを減らしたり、長く保存できたりする。つまり、美味しく食べられるってわけだ。
そのことは現代の科学でも証明されている。
でも、コーラン(イスラム教の聖典)には、1000年以上前から記されているんだぜ。
ーー(イスラム自慢ですかそうですか…)
前にネットで、その光景を見たことがある。
羊の首から大量の血が吹き出して、地面が真っ赤に染まったのを見て、ちょっとしたトラウマになった。
あれを日本の地上波で流すなら、でっかくて荒いモザイクが必要だと思った。
ウマル:「慣れ」の問題さ。
親父はそれを上手にやって、俺は死んだ羊の皮をはぐ。
子どものころは悲しかったけど、今では感謝している。
ーー感謝?
ウマル:日本でも食事をするとき、「いただきます」と感謝の言葉をいうだろ?
それと同じで、俺たちも食べ物を「アッラーからいただいたもの」と考えて、神に感謝して食べるんだ。
ーー気持ちは同じでも、日本とはやり方がかなり違うな。
まぁ、動物の命が奪われる瞬間を見ることで、「いただきます」をよりリアルに感じられるかもしれないけど。
ウマル:新鮮な羊の肉を食べられるから、俺は犠牲祭が待ち遠しかったんだ。
でも、日本では生きた羊が手に入らないし、もし入手できたとしても、それを勝手に解体してはいけない。
だから今は、あのフレッシュで美味しい肉を食べられないのはさみしいんだ。
ーー日本はほら、ウルトラ世俗国家だから。
「フレッシュな肉」については、インド人とタイ人も同じ不満を言っていた。
日本ではそういう肉はアキラメロン。


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