きのう6月7日、日本人なら「新年おめでとう!」みたいなノリで、知り合いのイスラム教徒たちがSNSで「Eid Mubarak(イード・ムバラク)」と祝福のメッセージを投稿していた。
イードはアラビア語で「祭り」、ムバラクは「祝福された」だから、イードムバラクは「お祭りおめでとう」という意味になる。
昨日は、イスラム教徒にとって大切な犠牲祭(イード・アル=アドハー)の日だったのだ。イード・ムバラクの後に、「あなたの心が平和で、あなたの家族が喜びで、そしてあなたの人生が神の祝福で満たされますように」といった、イスラム教徒らしいメッセージを書く人もいた。
個人的には、この犠牲祭にはあまり共感できないけれど、イスラム教徒の価値観や考え方がよく表れているから、これからこの祭りの由来について書いてみよう。
そのとき天使が現れて、アブラハムの手を止めた。
ユダヤ教・キリスト教・イスラム教には「アブラハム」という共通の先祖がいる。彼は人類救済のために神に選ばれた預言者とされ、この3つの宗教は「アブラハムの宗教」と呼ばれている。
*イスラム教ではイブラーヒームというが、ここではアブラハムという名前にする。
ある日、神がアブラハムに、自分の息子を犠牲にするように命じた。するとアブラハムは「なぜですか 理由を教えてください!」と抵抗することなく、神の言うとおりにしようと決めた。
アブラハムは息子イサクを縛り、祭壇にのせてナイフを突き刺そうとしたその瞬間、神の使いである天使が現れて、手を止めさせた。そして、息子の代わりに近くにいた羊を犠牲にしなさいと言った。(イサクの燔祭)
神に命じられたアブラハムは、ためらうことなく子どもを犠牲にしようとした。最も大切なものを神に捧(ささ)げようとする彼の態度からは、アッラーへの心からの服従が感じられる。
実は、悪魔が現れ、アブラハムに向かって息子を殺すことは大きな罪だと言って思いとどまらせようとしたが、アブラハムはそれを拒絶し、悪魔に石を投げて追い払った。そして、息子を神に捧げようとした。
このため犠牲祭の当日と翌日には、悪魔に石を投げる儀式がおこなわる。
イスラム教徒にとって、アブラハムの信仰の強さや忠誠心はまさに理想的。イスラム教の伝統では、神の命令に従って息子を犠牲にしようとしたアブラハムの意志をたたえるため、犠牲祭が行われる。
In Islamic tradition, it honours the willingness of Abraham to sacrifice his son as an act of obedience to God’s command.
現在、イスラム圏では犠牲祭で羊が殺される。この羊はただの動物ではなく、もともとはアブラハムの息子の代わりに神に捧げられたものだから、羊は自分にとって最も貴重なものを象徴している。犠牲祭は、それをいつでも神に捧げられる気持ちを表しているという。
日本の伝統的な考え方では逆で、他人のために自分を犠牲にできるのが神や仏のような尊い存在になる。神のために子どもを捧げるという発想は、ムスリムではないボクはちょっとついていけない。
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