本日、10月31日はハロウィーン。
これは、古代ヨーロッパにいたケルト人の祭り「サウィン」が起源と考えられている。ケルトの暦では11月1日から新しい年が始まるので、サウィンは現代の日本で言えば正月のようなもの。
当時、太陽が沈むとその日が終わるとされていたため、10月31日の夜が「元旦」となり、サウィンの祭りが行われていた。この時、ケルト人はこの世とあの世の境がなくなり、先祖の霊や悪霊、魔女などが現世に戻ってくると考えていた。
その後、キリスト教(カトリック)がヨーロッパを支配すると、ケルト人の祭りはキリスト教に吸収されていく。カトリックのすべての聖人と殉教者を記念する「諸聖人の日」が11月1日にあり、サウィンの祭りはその前夜祭という位置づけにされた。
ちなみに、天使も異教の神々がキリスト教に取り込まれて作られたと言われている(Angel)。
ヨーロッパからの移民(主にアイルランド人)がアメリカにこの習慣を伝え、仮装をしたり、子供にお菓子をあげたりするアメリカ版ハロウィーンが完成し、世界中に広まった。
聖書に「わたしのほかに神があってはならない」と書かれているように、一神教であるキリスト教がほかの神の存在を認めることはできないため、サウィンの祭りは完全に消されるか、キリスト教化されるしかなかった。
日本の伝統的な信仰はこれとはまったく違って、異なる信仰を否定し排除する独善性がない。
公式には6世紀に朝鮮半島から仏教が伝わり、朝廷内でこの新しい宗教を受け入れるかどうかに分かれた。蘇我氏は仏教の信仰を支持したが、物部氏はそんなことをしたら、日本の神々が怒ると主張し、両者の対立は激化していった(崇仏論争)。
そんな空気の中、用明天皇は「仏法を信けたまひ、神道を尊びたまふ」と言って、仏教も神道も尊重する態度を示したと『日本書紀』に書かれている。文献で「神道」という言葉が登場したのはこれが初めて。
用明天皇の跡を継いだ推古天皇や甥(おい)の聖徳太子も神道と仏教を大切にし、異なる信仰の共存が定着し、やがて2つが融合する「神仏習合」という日本独自の信仰に発展していく。こんな素地があったから、ハロウィーンという異教の祭りを簡単に受け入れることができた。
昔のキリスト教徒は自分たちの教えだけが正しいと考え、ケルト人の信仰を否定して消し去った。いっぽう、古代の日本人は違いを「間違い」と認識することなく、異なる信仰を受け入れた。その後もそんな寛容な態度は変わらず、現代でも、神社とお寺は平和共存している。あまりにも普通に共存しているため、神道と仏教の違いがよく分からない日本人もいる。
ヨーロッパの一神教の世界では、ありえないことだ。
しかし、ものには限度がある。SNSを見ていたら、近所のお地蔵さんにハロウィーンの飾り付けがしてあったと報告している人がいた。「仏法を信けたまひ、神道を尊びたまふ」という精神は素晴らしいけれど、それはやりすぎだ。
余談
最近、日本のハロウィーンは「オワコン化」しているという話を聞いた。市場規模は縮小傾向にあり、ハロウィーンに予定がある人が減少しているというデータもある。
以前から、パリピーの迷惑行為が問題視されていたことに加え、物価高で仮装して遊びに行く余裕が無くなったと思われる。

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