外国人と付き合っていると、「日本人はウソをつかないから信用できる」といったうれしい話をよく聞く。100%ではないけれど、落とした財布が戻ってくる確率が日本ほど高い国はないだろう。
ある外国人はスマホを取りに警察へ行ったら、「バッテリーが切れそうだったので、50%ほど充電させてもらいました」と言われて言葉を失った。
しかし、宗教(信仰)は例外で、日本人の言葉をそのまま信じられないという外国人がいる。日本には独特の歴史と伝統があって、現代の日本人は知らずにその影響を受けているから、その「圏外」にいる外国人には矛盾しているように見える。
外国人がツッコむ日本の「無宗教」と初詣の矛盾
ふだん日本人は「いえいえ、私は宗教なんて信じていませんよ」と強調するのに、正月になると初詣に行くから、知り合いのアメリカ人、インド人、トルコ人、インドネシア人などは「宗教を信じてんじゃん!」とツッコミを入れる。
言ってることとやってることが違うという意味で、中国語には「口嫌体正直」(口が嫌だと言っても体は正直だ)という言葉がある。
(この元ネタは日本のエロ漫画かビデオだ。)
外国人の感覚からすると、特定の神を信じていないと言う日本人が、神社で手を合わせて頭を下げる様子を見たら矛盾を感じ、「口嫌体正直」と思うかもしれない。
海外では、一般的に宗教施設に行くこと自体が信仰の表れと考えられている。
アメリカやドイツでは、クリスマスに教会へ行く人は国民の半分もいない。AIに質問すると、ドイツでクリスマスに教会へ行く人の割合は人口の約15%(2023年〜2024年)、アメリカでは約25%しかいないという。
それに対して、日本では国民の6割以上が初詣に行くから、知人のアメリカ人は「先進国でそんな国は日本しか考えられない!」と力説する。
行動だけから判断したら、日本は宗教に熱心な国だと言える。
なぜ日本人は「無宗教」と答えるのか?
日本人を対象に宗教についてアンケート調査をすると、「無宗教」と答える人が圧倒的に多い。これは宗教を否定しているのではなく、「特定の宗教の信者ではない」という意味に近いだろう。
日本人は伝統的に神道と仏教を同時に尊重してきたし、仏教では禅宗や浄土宗などさまざまなグループが共存してきた。
この歴史によって、一つの宗教だけを絶対的に信じるよりも、複数の宗教的習慣を受け入れて、状況に応じて態度を変える文化が形成された。
だから、子供のころは神社で七五三をして、大人になると教会で結婚式を挙げ、死んだら仏式で葬式を行う。
外国人がそんな日本の常識と接したら、「なんてデタラメ…」と呆れるかもしれない。しかし、日本では「自分は何教徒か」を明確にする必要はなく、宗教的行為をしていても自覚としては無宗教と考える人が多い。
長い歴史の中で、宗教的行事が信仰というよりも、伝統文化として受け継がれてきたから、現在の日本では、宗教が生活習慣として自然に溶け込んでいるのだ。
お盆や正月、地鎮祭などはそれぞれ宗教的意味を持つが、ほとんどの人は宗教活動としてではなく、家や地域の行事として行ったり参加したりしている。
教義が分からなくてもできてしまうから、自分が宗教に関わっているという意識が生まれにくい。
これは日本の大きな特徴だ。
世界の国教と日本の違い
世界を見ると、特定の宗教を国家の公式な宗教として定める国は珍しくない。宗教が国民の共通の価値観や国家の成り立ちと、深く結びついている場合が多いからだ。
サウジアラビアやイランなどはイスラム教を国教としていて、イスラム教の聖典・クルアーン(コーラン)が社会の最上位にあり、宗教法(シャリーア)にもとづいて現実の法が定められている。
キリスト教(カトリック)を国教とするバチカン市国も、「教会法(カノン法)」にもとづいて社会が成立している。
日本の近くでは、カンボジアやミャンマーは仏教を国教としている。
このように、宗教が国家の基盤となる国はまったくめずらしくない。
日本とまったく違うのが、イスラム教国の社会だ。食事や服装、休日、結婚の制度などがシャリーアによって決められている。イスラム教を国教としているところでは、宗教の教えを守ることが社会のルールを守ることと同じ意味になる。
こうした国と違って、日本には国教がなく、政教分離の原則から宗教と法律は切り離されている。
しかし、宗教的伝統が社会の中に深く残っているから、日本は宗教国家ではないが、完全な無宗教国家とも言えない。
歴史から見る日本と宗教の深いつながり
歴史を見ると、日本と宗教は深く結びついていることが分かる。古代から、天皇が国民の幸せのために祭祀を行っていて、宗教的儀式は国家と不可分の関係にある。
平安時代に定められた「延喜式」にある大嘗祭は、今でも新天皇が即位後に行う重要な儀式だ。また、一般国民が穢れを祓うため、夏と冬に神社でする「大祓」の儀式も延喜式に書かれている。
日本は武士の時代、近代化、戦争など大きな歴史的転換を経験したが、古代からの祭祀は失われなかった。千年以上前に定められた儀式の作法が現代まで続いている。
国が法律などで国民に強制しているわけではないのに、宗教的伝統が受け継がれているのが日本という国の大きな特徴だ。
この連続性が偶然であるわけがない。伝統文化を守り、維持しようとした日本人の意志が根底にあったことの表れだ。
伝統文化として根付く日本の宗教観
日本は宗教国家ではないけれど、宗教的伝統が社会に深く根付いている。
天皇は政治的権力を持たない一方で、日本の歴史や文化を体現する存在として祭祀をおこなっている。これは国民の幸福や国の安寧を願うものだから、国家全体と深い関係がある。
「大嘗祭」や「大祓」などの儀式が無くなったら、日本は日本ではなくなり、個性の無いつまらない国になってしまう。
日本では、宗教が伝統文化に吸収されているから、国民は宗教的行為をしてもそれを自覚しないでいる。無意識だから、信仰ではなく習慣になっている。
本日のまとめ
日本人が「無宗教」と自称しても、それは「空っぽ」というわけではない。伝統や文化という形で古来の信仰を受け継いでいて、日々の生活の中で無意識にそれが表面化することがある。
そのことは外部の人のほうが気づきやすいから、「宗教を信じてんじゃん!」と外国人からツッコまれることになる。

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