日本の外国人差別をなくすには、外国人の「配慮」が有効なこともある

前回、日本で多文化共生を実現するには、外国人の思いやりがカギになるということを書いた。
今回はそのつづきというか、スピンオフだ。
外国人が日本で感じる差別を軽減するためにも、外国人側の配慮は有効だ。

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在日外国人の不満は「差別」

日本に住む外国人の9割以上が、全体的には生活に満足を感じている(前回の記事を参照)。
もちろん不満もあり、第3位に「外国人に対する差別」がランクインした。

これを減らすには、日本人が偏見を無くし、意識を変える必要がある。
しかし、外国人が日本側の事情を考え、少し配慮するだけでなくせる「差別(と感じる摩擦)」があることも事実だ。

ここでは、外国人のあいだでたまに議論にあがる「入店拒否」の問題から、差別と区別の違いについて考えてみたい。

 

「分離すれど平等」から考える、差別と区別の違い

ある中国人が日本のコンビニで上のようなコンセントを見て、

「日本就是这样小气」
(日本って、こういうところがケチだよな)

とSNSに不満を表明した。
この投稿に対する中国人の反応はさまざまで、「まったくだ。息が詰まる」と同意する人がいれば、「仕方ない。きっと店に迷惑をかけた人がいたんだ」と店に同情する人もいた。

これは個人の感想だから、どれも正解だ。
同じ出来事に対して、さまざまな反応があることは、中国人も日本人も変わらない。
そういうときに相手の事情を想像し、配慮できる人が増えると世の中は明るくなる。

 

少し脱線して、アメリカの有名なプレッシー対ファーガソン裁判の話をさせてほしい。

19世紀後半、奴隷が解放されたが、アメリカ社会には深刻な人種差別がはびこっていた。
トイレや図書館、レストランなどで白人と「Colored(有色人種)」は明確に分離されていたのだ。
この場合、「Colored」は実質的に黒人と考えていい。

これに怒った黒人男性が裁判を起こしたが、1896年に最高裁は「分離すれど平等」の主義のもと、公共施設での分離は人種差別に当たらないという判決を下した。
もちろん、のちにこの差別的な判決は覆された。

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19世紀後半のアメリカでは、白人と黒人で鉄道駅の待合室が違っていた。

 

21世紀の現代でも、内容を変えれば「分離すれど平等」という理論が通用する場面はある。

例えばトイレでは、男女が分けられていても立場は平等で、むしろ性別で分離されていないと困ってしまう。
性別のように合理的な理由があれば「区別」になり、人種のように合理性がなければ「差別」になるのだ。

「日本語を話せない人の入店お断り」は差別なのか?

では、こんな飲食店はどうだろうか。

 

 

ある外国人(おそらく欧米人)が日本で、「今日は日本語を話せない人の入店をお断りします」という案内を見て、「日本にはまだこんな差別がある。どう思う?」とSNSに怒りの投稿をした。

この手の「差別体験」の投稿には、いつも外国人から多くの返信が寄せられる。
その中でキラリと光り、もっとも的を射ていた(物事の要点をとらえていた)のが以下のコメントだ。

「Not necessarily racism – many restaurants don’t have the resources to serve non-Japanese-speaking customers.
Big difference between saying “Japanese speakers only” (which is what this is) and “Japanese only” (which does, sadly, also happen).」

必ずしも人種差別というわけではない。
多くのレストランでは、日本語を話さない客に対応する体制が整っていない。
「日本語が話せる方のみ」(今回のケースはこれ)と、「日本人のみ」(残念ながらこれも実際にある)とでは、大きな違いがある。

 

結論から言うと、「日本人のみ可」は国籍や人種を理由にした議論の余地のない差別だ。
しかし、「日本語のみ可」と言語を理由にしている場合は、合理性があると認められ、基本的には差別にはあたらない。

たとえば、従業員が2〜3人の小さな飲食店で、誰も英語ができないときは、ドアに「日本語が話せる方のみ入店可」と案内を掲げても差別行為にはならない。

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ただし、「店の者は日本語しか話せないため、外国人のお客様の入店はお断りします」となると差別行為になる。
「日本語を話せない人の充電はお断りします」というのも、合理性は1ミリもないから差別に該当する。

日本に長く住む外国人の声

日本に長く住んでいる知り合いの外国人に聞くと、国籍や宗教に関係なく、みんな先ほどの外国人と同じように考えている。

言語を理由にNGを出す店ではなく、その店の事情を無視して「差別だ!」と大声でアピールする外国人のほうを問題視し、「そのくらい察しろ」と非難する。

日本を旅行するだけで、英語を話せる人が少ないことはすぐに分かる。
英語の対応ができない小さな店に、日本語が話せない外国人が入ってくると現場は本当に困ってしまう。
昼食や夕食の死ぬほど忙しい時間帯なら、ハッキリ言って「嫌がらせ」に等しい。

 

スマホの翻訳機能を使ったとしても、宗教的な理由で食のタブー(ハラールやヴィーガンなど)がある外国人の対応は困難だ。
肉の種類だけでなく、スープやソースの原材料を確認し、動物性エキスが使われているかどうかを正確に伝えなければならないこともある。

忙しい時間帯に、彼らのために時間をとって必死にやり取りをしたあげく、「なら、ここでは食べられない」と店を出ていくケースもある。
実際にそんな体験をして、「もうやってられない」とウンザリした日本人と会って話を聞いたこともある。
万が一、こちらのミスでうっかり宗教上のタブーを破らせてしまった場合、責任問題に発展して裁判に訴えられるリスクすらあるのだ。

外国人の「配慮」や「思いやり」で消える差別もある

「今日は日本語を話せない人の入店をお断りします」という案内を見たとき、思いやりのある外国人なら、その店の規模や事情を想像して、ほかの店へ行く。
しかし、自分中心の人ほど「差別だ!」と怒り出し、SNSでアピールしようとする。

日本に長く住む外国人なら、この話に納得する人は多いと思う。

差別になる大きな基準の一つは「その人がそう感じるか」という主観だ。
だからこそ、相手の事情への「配慮」や「思いやり」があれば、それを差別だと感じることなく、無用な摩擦を避けることができる。

過剰に反応して、物事を大きくしようとする。
そんな「問題化」という問題に悩まされるのは日本だけではない。

外国人が日本の生活で感じる不満の第三位の「外国人に対する差別」。
その中には外国人が日本の事情に配慮し、思いやることでなくなるものあるのだ。

 

 

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この記事を書いた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。
また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。

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