日本では特定の宗教を信じない無宗教の人がとても多く、世界的に見ても宗教色が薄い。日本に住んでいたインド人の知人が気に入っていたのは、まさにその点だ。
ヒンドゥー教とイスラム教の争いが絶えない母国と比べて、日本人は宗教に対する関心がなく、信仰が原因で人が殺されるようなことは想像できない。だから、安心して生活できると言っていた。
彼自身はヒンドゥー教徒で、インドにいたときは宗教的な緊張を感じることが多かったから、日本人の宗教的な無関心はとても居心地よかったという。
しかし、世界が狭くなり、外国人は身近に存在となった。現代では、無宗教でいることは問題ないとしても、宗教について無知でいるのはマズい。知識がなければ、必要な配慮をすることもできなくなり、大失敗をしてしまう。
最近、日本人が新商品の宣伝企画で、豚肉をタブーとするイスラム教徒に、豚肉のエキスが入った商品を食べさせてしまう出来事があった。
もし日本人がうっかり、イスラム教徒に豚肉を食べさせてしまったら?
そこで今回は、ゲームを通して日本人と外国人の宗教認識の違いについて紹介しよう。
削除された「エデン」
先日、『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』(2000年発売)のリメイク版『ドラゴンクエストVII Reimagined(リイマジンド)』が配信された。ボイスが追加されたり、バトルシステムが進化したりして、遊びやすく生まれ変わったというから、興味のある人は下の公式HPをチェックしてくれ。
リイマジンド | ドラゴンクエストVII Reimagined
この25年で、日本人の考え方や環境は大きく変わった。平成12年なら許された表現でも、今それをすると誰かを怒らせ、抗議がきて面倒なことになる場合もある。日本人の価値観の変化は、新しい『ドラクエVII』にも反映されている。
まず、サブタイトルの「エデンの戦士たち」が「Reimagined」に変更されたのは、宗教的な配慮が理由だ。エデン(の園)は旧約聖書に出てくる楽園で、人類の始祖であるアダムとイブが住んでいた。しかし、神に禁じられていた「禁断の果実」を食べたため、2人は楽園から追放される。
モンスターがいないから、ゲームではエデン(楽園)と命名されたかもしれない。
旧約聖書はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通する聖典だから、そこに登場する地名をエンタメ作品のタイトルに使うと、信心深い人を不快にさせてしまう可能性がある。エデンにいたのはアダムとイヴなのに、そこに「戦士」がいたという設定も宗教をいじっていて適切ではなかったかもしれない。
海外版では「ロト」は「エルドリック」へ
聖書に登場する地名や人名をゲームで使うことは、自分で地雷を埋めているようなもので、何がきっかけでいつ爆発するか分からない。『ドラクエ』の有名なキャラクター「ロト」も、聖書に登場する預言者「ロト」と同じ名前だ。
(制作側はこの名前を聖書から取ったわけではないらしい。)
1990年代にアメリカで発売された『ドラクエ』シリーズ(DRAGON WARRIOR)では、「Lot」が「Erdrick(エルドリック)」に変更された。
十字架もNG
『ドラクエ』シリーズでは、教会やほこら、聖職者の衣装、さらには棺桶などに「十字架」が使われていた。日本では『ドラクエ』で十字架はおなじみのマークだったが、海外でそれはNGだから、別のデザインに変えられた。日本でも『ドラクエVIII(空と海と大地と呪われし姫君)』以降、リメイク版で十字架はなくなり、新しいマークに変更されている。
ドイツ人やブラジル人からは、地元の公共施設に十字架のマークがあり、「政教分離」の原則から問題視する人がいると聞いた。フランスでは18世紀の革命以来、個人の信教の自由と平等が社会的に保障されているため、公共空間に宗教を持ち込まないという政教分離の原則(ライシテ)が厳しく守られている。フランスでは裁判所などに十字架があることは考えられないだろう。
十字架はとても敏感な宗教アイテムだから、ゲームやアニメで簡単にあつかうと、後で面倒くさい事態になりかねない。
全体的に見ると、海外で先にNGになり、日本版がそれに合わせて修正されていることが分かる。こうしたドラクエの変化に、日本のネット民はこう思った。
・ポリコレコンプラでつまらなくなるね
・マリベルがリンゴを齧っててオルゴデミーラが蛇
・なんかゲーム業界ってアニメ以上にこの辺厳しくなってる気がするな
・外国人向けに売る事が増えたからね
・イスラム教に配慮したら唯一の神じゃない神が登場するのは全部ダメになっちゃうんじゃないの
・ターバン巻いた勇者もダメか?
宗教への無関心はOKでも、無知はNG
知人のイギリス人も自分は無宗教だと言うが、日本人とは根本的に異なる。彼女は中学生のころ、週に一回宗教の授業があり、キリスト教、ユダヤ教、ヒンドゥー教、イスラム教、仏教などの世界的に有名な宗教について学んだから、基本的な考え方やタブーについて理解している。イギリスは多文化社会だから、宗教に対する理解は必須だ。
いっぽう、日本では宗教について学ぶ機会が少ない。個人的には学校で、歴史の授業で「イスラム教では豚とアルコールはNG、ヒンドゥー教では牛肉はダメ」ぐらいのことしか学んだ記憶がない。国民の95%以上を日本人が占めている日本では、さまざまな宗教について学ぶ必要性は低い。葬式でのマナーを知っていれば、宗教の知識がなくても日常生活でとくに困ることはない。
ゲームで宗教的な配慮に欠け、海外版の「後追い」というカタチで、国内版を変更することにもそんな事情が背景にあるはずだ。しかし、国際化が進んでいる今、宗教の知識は必要不可欠になっている。
約25年前、2001年に富山で、日本人がイスラム教の聖典・コーラン(クルアーン)をハサミで切り刻んで捨てる事件が発生し、国際問題に発展した。
令和の時代に生きる日本人なら、そんな恐ろしいことはしないだろう。しかし、複数の人間がチェックしたはずなのに、イスラム教徒に豚肉のエキスが入ったものを食べさせるという失敗は今でも起こる。
宗教への無関心が社会的な安全につながり、母国より生きやすいと感じる外国人もいる。しかし、宗教に対する知識や配慮に欠けると自分がダメージをうけることになる。日本人は宗教的なタブーにもっと敏感になったほうがいい。
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