【教育の違い】イスラム教徒の外国人が日本で感動したこと

 

アラビア語でイスラム教徒を「ムスリム」と呼ぶ。
この言葉は、絶対神であるアッラーに従う者という意味だから、世界中どこに行っても、日本のような無宗教の国でも、ムスリムは神の教えを守って生活しないといけない。
普段は意識の外にあって、困った時になると神を感じるボクのような人間でも、それは理解できるのだけど、夏のムスリムは大変だとよく思う。

イスラム教徒とどこかへ出かけると、男性なら、日本人と同じようなTシャツ&ジーンズという格好だから何も違和感はない。
でもムスリムの女性の場合、猛暑日で、日本人女性ならノースリーブ&ショートパンツでもおかしくないほどの暑さの中でも、長袖&長ズボンにヒジャブ(頭にかぶる布)をつけているから、外出先でよく日本人の視線が集まる。
イスラム教には、夫や父親以外の男性に髪を見せてはいけないというきまりがあるから、どんなに暑くても、ムスリムの女性はそれに「NO」と言うことはできない。
*個人差があってヒジャブをしない女性もいる。

 

ヒジャブを巻いたムスリム女性

 

少子高齢化が進むいまの日本は「第二の開国」を決断して、外国人を受け入れる条件が緩和されている。
だから、ヒジャブをつけたムスリムの女性が牛丼屋でアルバイトをしているという、昭和だったらマンガの世界のようなことが現実になっている。
都市部の学校なら、イスラム教徒の児童生徒はめずらしい存在でもない。
真夏日や猛暑日でも、彼らは「アッラーに服従する者」だから、女子生徒は体育の授業でも長袖・長ズボンにヒジャブを着用しないといけない。
*このへんの対応にも、子供の年齢や保護者の考え方によって違いがある。

 

最近の日本は、全国各地で真夏日が続いて、「クッソ暑い」が会話のまくら言葉になりそうなほど。
そんな中で、知り合いのインドネシア人が、涙が出そうになるほど感動する出来事があったという。

インドネシア人のムスリムの女子生徒が高校の運動会に、長袖・長ズボン・黒いヒジャブの3点セットで参加していたところ、あまりの暑さのために倒れてしまった。
熱中症で気を失ったらしい。
江戸時代には、顕子(あきこ)女王が公家のルールを守って亡くなったという話があるけど、現代のイスラム教徒はそうじゃない。
全校の生徒や保護者が見守る中で、先生がその女子生徒のヒジャブを外した。
当然、夫と父親以外の男性には見せてはいけない髪がさらされることになる。

するとそんなタブーを知っていた友人の女子高生たちが、次々とムスリムの女子生徒の周りに集まってきた。
言ってみればヒジャブの代わりに「人の壁」を作って、生徒の髪が見えないようにしたわけだ。
運動会で娘や友人の様子を撮影していたインドネシア人の親が感激し、その動画をユーチューブにアップすると大きな反響を呼び、インドネシアのメディアに取り上げられた。

インドネシア・メディア「detikedu」の記事(23 Jun 2023)

Pelajar Jepang Tutupi Siswi Berhijab yang Pingsan, Pendidikan Karakter Disorot

「Jepang」は日本のこと。

これがそのユーチューブ動画

VIRAL! AKSI SPONTANITAS DAN KEKOMPAKAN GURU DAN SISWI DI JEPANG ketika menolong siswi muslimah

インドネシアの人たちはこんなコメントを寄せた。

・日本のイスラム教徒に対する寛容さはとても素晴らしいですね。
・日本の友人たちに感謝します。
・このビデオは寛容と言われるアメリカ人よりも、日本人が一歩先を行っていることを証明しています。
・この動画を見て、日本に反感を持っていた父は態度を改め、日本をとても尊敬し涙を流すほど感動しました。
・これは真の寛容さと相互尊重の精神です。
日本人は子供のころから、そのような教育を受けてきています。この国が急速に発展したのも不思議ではありません。

以下は、2年以上日本に住んでいるこのインドネシア人(30代・男性)の意見です。

日本の高校で起きたこの出来事に、インドネシアでは驚きと感動が広がって、知人の知るところとなった。
インドネシアには感情的な人が多く、「こんな素晴らしいことがあったんですよ! 聞いてください!」と、彼がボクに教えてくれた。
日本に2年以上住んでいるそのインドネシア人(30代・男性)はこんな話をする。

 

ボクが日本に来てビックリしたのは、街のキレイさと人々のマナーの良さ。
インドネシア人が学ばないといけないのはこれだと思って、日本人から話を聞いて理由を考えてみたんだ。
そのカギは学校教育にあるんだよ。
日本の教育では、人格形成をとても重視しているから、自分のゴミにも責任を持って自分で片付けることを教えている。
残念ながら、インドネシア人の中にはそんな高い意識を持っている人は少ないから、みんな平気でゴミのポイ捨てをして街が汚くなる。
そんな状態に慣れてしまうと、特に汚いとは感じなくなって悪い状態が続いてしまう。

インドネシアの教育では、先生は生徒に知識や技術を教えることが中心で、テストで高い点を取ることが重視されている。
これは宗教、特にイスラム教の影響が強いからだろうね。
基本的な人格や道徳は生まれたときに決まっていて、後から変えることは難しいという考え方があるんだ。
でも、知識や技術は生まれた時点では何も持っていないから、後から教育によって身につけることができる。
だから学校では人間教育よりも、テストに合格することが中心になっていて、親も教師にそれを求めている。

友達がヒジャブを外されたのを見ると、日本人の友達はすぐに状況や相手の気持ちを考えて、自然と「人の壁」を作って彼女を守った。
日本人についてボクが素晴らしいと思うのは、周囲への気配りなんだ。
電車やバスの中では携帯電話を使ったり大声で話したりする人はいないし、どこに行っても列に並んで待っていて、日本人は他人へ敬意を払ってマナーを守る。
あの出来事でも、そんな日本人の配慮がよく表れていて、それはインドネシア人に欠けているものだから、みんな感動したんだよ。

 

日本人と比べると、確かにインドネシアの人たちは自由で自分の好きなことをするし、周りもそれを気にしない。
最初、運動会の動画をここで紹介しようと思ったけど、生徒の顔がはっきり映っていたからやめた。
運動会の動画をユーチューブにアップする場合、学校の許可が必要だと思うけど、この人はそれを取っていない気がする。
感動的な出来事を見て嬉しくなって、手続きをしないで勝手にアップしたと思う。

それと、彼の話を聞いて、宗教的な「人の現れ方」の違いについて考えた。
仏教の考え方では、人は前世の行いによって「生まれる」とされているが、イスラム教やキリスト教では神の意思によって「造られる」とされている。
「いやいや、考えすぎじゃね?」というご指摘はもっともだけど、彼の意見はそんな違いを背景にしているのかなと思うのですよ。

 

 

江戸時代にあった身分の壁 助かった将軍と亡くなった女王

日本のサッカー観戦で、インドネシア人が見た“衝撃的光景”

自殺に“冷たい”日本社会:インドネシア人が感激/失望したこと

インドネシア人は日本をどう思う?統治時代・独立戦争・いま

インドネシア人を困らせる日本人 上から目線で戦争の歴史を語る

 

1 個のコメント

  • コメントを残す

    ABOUTこの記事をかいた人

    今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。