香港人の大好物は日本。
日本を何度も旅行する人が多くて、香港人のリピーター率は約90%ととんでもなく高い。つまり、香港人が日本に来ると、ほとんど全員が日本のファンになるということだ。
ソース:観光庁HPの「訪日外国人旅行者(観光・レジャー目的)の訪日回数と消費動向の関係について」
香港の人たちが日本に来ると、グルメやショッピング、そして温泉など、日本ならではの体験を楽しんでいる。知人の香港人から聞いた話によると、最近では日本の影響が香港に広がり、レストランで「食べ(飲み)放題」の意味で、日本語の「放題」を使う店が増えてきた。
香港人にとっての「日本」 日本語の影響、人気の旅行先や活動など
その香港人は、日本が好きすぎて、来日して語学学校で日本語を学び、今では流暢に話すことができる。
ある日、そんな彼女と話していると、歴史の話題になり、第二次世界大戦で日本軍が香港を占領した時のことを聞いた。彼女が子どものころ、おじいちゃんから「知り合いが日本軍の兵士に殺された」という話を聞いて、心に日本軍への憎悪が燃えがったという。

香港を制圧した日本軍
1941年12月から1945年8末まで、日本は3年8カ月にわたって香港を占領統治していた。現在の香港では、その期間を「三年零八個月」と表現することがある。
1945年のきょう9月16日、日本はイギリスと中国(中華民国)に対して、香港の主権を返還する文書に調印した。
日本軍が香港を統治していた期間中、イギリス人のマシュー・ネイザンにちなんで命名された「ネイザンロード」が「香取通り」へ改名されるなど、日本風の地名がつけられた。
この期間、日本軍がしたヒドイことに、「銀礦灣屠殺」がある。
日本が1945年8月15日にアメリカに降伏した後、イギリス軍が到着するまで、香港の治安維持は日本軍にまかされていた。8月20日、日本兵15人が中国共産党のゲリラに襲撃される事件が発生。日本軍は近くにあった銀山湾の村民の中に協力者がいると疑い、少なくとも11人を殺害した。また、300人の村民が捕らえられ、拷問を受けた者もいた。
その後、香港でイギリスの統治が再開されると、軍事法廷が開かれ、3人の日本人が責任を問われて処刑された。
「三年零八個月」の期間中には、ほかにもこうした暗い出来事があったはずだ。知人の祖父の知り合いも、その中で命を奪われたのだろう。
しかし、幼いころにそんな暗い歴史の話を聞いていても、知人の香港人は日本が大好きだ。当時、戦争犯罪を犯した人物は裁判で裁かれ、現在の日本人が生まれる前に起きた事件の責任を負うべきではないと彼女も理解している。日本に求めているのは謝罪ではなく、香港との友好関係だ。
何かの機会で香港人と出会って話すと、驚異のリピート率90%ということもあり、ほとんどの人は日本に好印象を持ち、称賛してくれると思う。しかし、過去の日本については、そうではないことを知っておいたほうがいい。
予期せぬタイミングで「おじいちゃんの知り合いが日本軍に殺された」という話を聞くと、言葉を失ってしまう。
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