【日露戦争】日本の勝利がアジア人を覚醒させ、西洋の支配が揺らぐ 

1940年のきょう6月14日、東京の隅田川にある勝鬨橋(かちどきばし)が完成した。
この橋は、日本ではめずらしい「可動橋(かどうきょう)」で、船が通れるように橋の中央部分が上に動くしくみになっている。でも、最後に橋が上がったのは1970年。それ以降は一度も動かされず、「開かずの橋」となっている。
「勝鬨」という名前の由来は、戦いに勝ったときにあげる「えいえいおー!」や「勝ったぞー!」といった喜びの声のこと。
日露戦争で日本軍が旅順でロシア軍に勝利したことを記念して、1905年に「勝鬨の渡し」が設置され、それが後に勝鬨橋となった。

 

19世紀後半、ロシアは南下政策を進め、朝鮮半島を自分たちの勢力の中に入れようと画策していた。もしそうなったら、日本はロシアに攻撃され、最悪の場合、植民地にされてしまうかもしれない。国の平和と国民の安全な生活のため、日本はロシアと戦うことを決めた。
日本はイギリスと「対ロシア」で意見が一致し、1902年に日英同盟を結び、イギリスを味方にしていたことも、戦争に踏み切る決め手の一つになった。
日本はこの日露戦争に勝ち、独立を守っただけでなく、欧米列強にその実力を認めさせることに成功し、国際的な立場を高めた。

 

当時の慶應大学の学生が描いた反ロシアの地図には、ロシアがタコの姿で描かれている。
これは、ロシアがさまざまな方面から、南へ進出しようとしていたことを表していると思われる。

 

では、海外ではこの戦争をどう見ているのか?
日露戦争について知りたいと思ったとき、世界中の人が参考にする英語版ウィキペディア「Russo-Japanese War」にはこう書かれている。

アジアの国が西洋の国に対し、完全な軍事的勝利(The complete military victory)をおさめたことは、世界を驚かせ、国際社会のパワーバランスを大きく変えた。
日本は大国として台頭し、ロシア帝国はヨーロッパの中で威信を失っていった。多くの死傷者を出し、屈辱的な敗北をしたことで、国内の不安は増大し、1905年のロシア革命へとつながっていく。
この戦争が西洋世界に与えた重大な影響は、日本の勝利によって、ヨーロッパ諸国のアジア支配が大きく揺らいだことだ。

More widely, however, Japan’s win effectively damaged the credibility of European dominance in Asia.

 

同じアジア人がヨーロッパの大国を撃破した事実は、西洋の国々に植民地支配されていたアジアの人たちを目覚めさせた。たとえば、インドネシアの高校の歴史教科書『インドネシアの歴史』(明石書店)には、こう書かれている。

日本のロシアに対する勝利は、アジア民族に政治的自覚をもたらすとともに、アジア諸民族を西洋帝国主義に抵抗すべく立ち上がらせ、各地で独立を取り戻すための民族運動が起きた

 

日本は自国のためにロシアと戦ったのであって、アジア諸民族を立ち上がらせるためではない。当時の日本は西洋の国と同じく、帝国主義の「勝ち組」にいたのだ。
でも、日露戦争で日本の勝利がアジアの人々を覚醒させ、それが後の独立に結びついたのは確かだ。

 

 

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