【日本とイスラム教】その簡単な歴史・在日ムスリムの生活

 

8月10日は伝承によると、610年にアラビア半島の洞窟にいたムハンマドの前に天使ジブリールが現れ、神からの重要な知識や真実を与えた日。
その後、彼は預言者となって人々にそれを伝え、イスラム教が成立していった。
同時代の日本には聖徳太子がいたから、アラビア半島でイスラム教が広まったのと、日本で仏教が広まったのは同時進行だったことになる。

日本に仏教は6世紀に伝わったが、イスラム教についてはよくわからない。
江戸時代にはオランダからイスラム世界についての情報が日本にもたらされていたが、イスラム教徒が来日したという確かな記録は無いから、日本人がイスラム教を実感する機会はなかったはずだ。
新井白石(1657‐1725年)がキリスト教の宣教師を尋問していた時、イスラム教について話を聞き、「回回(イスラム教)」と記録した。日本でイスラム教について言及されたのはこれが初めという。
日本人で初めてイスラム教徒に改宗したのは山田寅次郎か、1891年の野田正太郎とされているから、日本人がこの宗教を本格的に知るようになったのは明治時代になってからだ。
1890年にトルコのエルトゥールル号が和歌山県の沖合で沈没し、野田はその義損金を届けるためにオスマン帝国(トルコ)へ行き、イスタンブルでイスラム教に改宗した。
山田も同じ時期にトルコに渡り、現地でムスリムとなった。

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イスラム教徒は世界で約19億人いるから、人類のおよそ4人に1人がムスリムということになるが、日本ではとても少ない。だから、日本でイスラム教の価値観やルールはあまり知られてなく、その信者と一緒にいると、「えっ?」と戸惑うことも多い。
以下、小さな実例を紹介しよう。

 

幕末、交渉のためヨーロッパを訪問した日本の侍たち(横浜鎖港談判使節団)は途中でエジプトのギザを訪れ、ピラミッドとスフィンクスを見学した。この時、スフィンクスをバックに撮影された記念写真が残されている。
彼らはエジプトでたくさんのイスラム教徒を見たはずだ。

 

以前、2人のインドネシア人のイスラム教徒と旅行をし、住宅街を歩いていると、彼らが突然、

「あと5分でお祈りの時間になります。この近くで、それができる場所はありますか? あんまりジロジロ見られたくないので、できるだけ人の少ない場所がいいです」

と言い出すからあせった。そういうことは前日か、せめて1時間前に言えと。
その時は近くにあったコンビニのオーナーに話をして、店の裏側のスペースを借りることで、彼らはイスラム教徒としての義務を果たすことができた。
日本人ならコンビニで借りるのはトイレぐらいなものだけど、ムスリムだとこんなこともある。彼らは旅行先で礼拝ができるように、いつも持ち運び可能なカーペットを持参しているという。
イスラム教徒の生活には、守るべきルールが本当にたくさんある。
1日に5回、聖地メッカに向かって礼拝をしなければならないし、1年のうちで約30日間、神聖なラマダン月には断食をしないといけない。

お祈りを終えた2人はオーナーにお礼を言っただけでなく、いくつか商品を買った。
彼らムスリムは豚肉とアルコールを口にすることができない。その基準をクリアしていることを示すハラールマークがあれば、安心して購入することができが、日本のコンビニで売っているアイテムにそんなマークは普通はない。
しかし、彼らは原材料の漢字を読むことができない。
そんなイスラム教徒のために、「ハラルグルメジャパン」という便利なアプリがあって、商品の写真を撮るだけで、イスラム教徒が食べられるものかどうかを教えてくれるのだ。
彼らもそれを使って、OKなものを選んで買っていた。
2人が日本へ来て、すぐに「豚」という漢字を覚えたという話はすごく共感と納得ができた。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。