【象と地下鉄】戦後直後から始まる日本とインドの友好関係 

 

太平洋戦争が行われていた1943年、上野動物園で悲しいことが起きた。
危険な動物が脱走して人に危害を与えないように、3頭のゾウ、ライオン、トラ、毒蛇などが殺処分された。(戦時猛獣処分
現在の日本でも、大きなヘビや犬が逃げると周辺住民は恐怖に包まれるから、戦時中のこの対応は仕方がない。

 

殺処分された上野動物園の象

 

1945年の8月、日本は2発の原子爆弾を落とされて力尽き、15日にアメリカに降伏して戦争は終わった。
戦後、上野動物園から象が消えて、さみしく思っていた東京の子どもたちが、インドのネルー首相に1500点の作文や絵を送り、象がほしいと訴えた。
それを見たネルーは「ごめん無理」と拒否することはなく、心を動かされて日本に象を送ることを決めた。
子どもたちが想像で描いた象は鼻が短いなど不自然な形をしていたため、ネルーは日本の子どもたちに本物の象を見せたいと思ったらしい。

ちなみに、ネルーは日本をどう見ていたか?
日露戦争で日本がロシアに勝利したことについては、欧米に支配されていたアジア人に希望を与えたと賞賛したが、その後の日本については「近隣諸国を植民地支配下に置き、欧米諸国の帝国主義と同じ道を歩んだ」と否定的な見方をしていた。

そして、1949年のきょう9月24日、 ネルーの娘にちなんで名付けられた象の「インディラ」が上野動物園に到着。
子どもたちは歓喜雀躍し、インディラはすぐにスターとなる。12月までの3ヶ月間で、上野動物園の入場者数は100万人を突破した。
このとき、動物園にはタイから送られた象の「花子」もいたから、これはインディラだけの功績ではない。

その後、日本は高度経済成長を実現させ、1968年に国民総生産(GNP)で西ドイツを上回り、世界2位の経済大国となった。
すると今度は日本が恩返しをする番だ。

大気汚染や交通渋滞に悩まされていたインドの首都デリーで、日本が資金と技術面で支援し、地下鉄の建設がはじまった。こうして2002年に「デリーメトロ」が開業し、デリーメトロ公社の総裁は「日本の協力と支援がなければ、この成功はありえなかった」と述べた。
現在ではインド人と外国人旅行者の重要な足となっている。

知り合いのインド人もそのことを知っていて、「メトロができたおかげで、生活はとても便利になって経済も活性化した。日本の協力にはとても感謝している」と何度か言われたことがある。メトロには女性専用車両があって、女性でも安全に移動することができるらしい。
象と地下鉄に象徴される日本とインドの友好関係は、これからも維持するのではなく、さらに発展させていきたい。

というのは、日本の未来には暗雲がただよっているから。
さっき見たニュースでは、日本の名目国内総生産(GDP)は来年2025年に、インドに抜かれて世界5位になるらしい。
その現実を知った日本人の感想がこちら。

・やっぱカレーか!
・金持ちの家ならインドに生まれたい
・インド株全振りで買っとけ
・もう国民がヤル気になるまで衰退させればいいんじゃないかな
・ ジャパン・アズ・ナンバーワンと言われていた頃がありました…

ということで、今度はインドが日本を支援する番。
いまは戦後直後ではないし、象もたくさんいるから、日本の子どもも大人も経済が活性化するものを希望している。

 

余談

この記事を書いているときに、「レイモンド・ハロラン」というアメリカ兵を知った。
戦時中、彼はB−29の乗組員で、東京上空で日本軍の戦闘機に撃墜され、パラシュートで脱出して捕虜となった。
ハロランは猛獣のいなくなった上野動物園のトラの檻(おり)に裸で入れられ、市民の見せ物にされたという。(Ueno Zoo

 

 

外国人から見た不思議の国・日本 「目次」

【日本の良さ】インド人とドイツ人が“自販機”で感じたこと

親日インド人が感じた、日本人と韓国人の“性格”の違い

【日本の仕事】インド人とドイツ人が感じた良い点・悪い点

それはどうなの日本人? ドイツ・インドネシア人が感じた疑問

 

コメントを残す

ABOUTこの記事をかいた人

今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。