ナチスの絶滅政策 ワルシャワ・ゲットーという地獄絵図

 

日本軍が真珠湾攻撃を行うほぼ1年前、1940年の11月16日に、ナチス・ドイツの支配下にあったポーランドのワルシャワでゲットーが封鎖され、住民のユダヤ人には地獄がはじまった。

ヨーロッパでは歴史的に、住民のほぼすべてがキリスト教徒だったため、異教徒で文化や法も違うユダヤ人が隔離された地区に住むことを強制されたことはよくあった。
そんなユダヤ人の居住地域は、キリスト教徒にとって神聖な教会から離れた場所に設置されることが一般的で、16世紀のイタリアでそんな地区がゲットーと呼ばれるようになり、その名称がヨーロッパ中に広がっていく。

 

ナチスの「ウンターメンシュ」のパンフレット(1942年)
東ヨーロッパの人々に対して、嫌悪や恐怖をあおるような絵が描かれている。

 

ナチスとは人種差別主義の化身。
ナチスは人種差別主義の化身で、自分たちドイツ人(アーリア人)を「優秀人種」であると考え、その純粋性を汚すユダヤ人やスラブ人(主にポーランド人、セルビア人、ロシア人)などをウンターメンシュ(ドイツ語で“劣等人種”の意)と呼び、抹殺の対象とした。
この悪魔のような思想が「ホロコースト」で具現化され、この絶滅政策によって600万人のユダヤ人が殺された。
ナチスはポーランドを占領するとゲットーをつくり、国内にいたユダヤ人を集めてそこへ押し込める。人口が密集し、劣悪で不衛生な環境からチフスが流行すると、ナチスの医療専門家はそれをユダヤ人の「文化レベルの低さ」や「不潔さ」のせいにした。

*ユダヤ人が集中的に住むゲットーは数百年前からヨーロッパにあったが、欧米人が単に「ゲットー」と聞けば、ナチスが設置したゲットーを思い浮かべると思う。ナチスのゲットーには「ユダヤ人を全滅させる」という意図があったが、それまでのゲットーにそこまで残虐な意味はなかった。

ナチスの上層部では、ユダヤ人をすべて殺すことは決定されていた。しかし、その具体的な方法については議論が続けられていて、各地のゲットーはそれが決まるまでユダヤ人を収容しておくために設置された。そして、絶滅収容所を建設し、そこで殺害することが決まると、ゲットーから次々とユダヤ人がそこへ送り込まれるようになる。

 

ユダヤ人が広場に集められ、収容所へ送られるのを待っている。

 

ヨーロッパに存在したゲットーの中で、歴史上おそらく最も悪名が高く、邪悪なものがナチス・ドイツが設置したワルシャワ・ゲットー。そこには、最も多い時期で約45万人が住んでいた。ちなみに、ナチスはゲットーを「ユダヤ人街」と呼んでいたらしい。
ワルシャワ・ゲットーは高さ約3メートルの壁で囲まれ、その上には有刺鉄線がはられていた。ゲットーから脱走する者は即射殺された。

ナチスは意図的に飢餓と病気を引き起こし、食糧と医療の供給を制限することでワルシャワ・ゲットー内のユダヤ人を殺害しようと考えた。

Nazi officials, intent on eradicating the ghetto by hunger and disease, limited food and medical supplies.

Warsaw Ghetto 

 

ナチスはゲットー内にいる人たちに対して、1人当たり1日で約180カロリーを超える飲食物の摂取を禁止する。
日本の成人男性の場合、1日で最低でもおよそ2200カロリーが必要だから、その10分の1以下になる。その一方で、ドイツ人に対しては2600カロリー以上の摂取が認められた。
しかも、ナチスはワクチンや医薬品を与えなかったという。(Warsaw Ghetto Hunger Study

こうした飢餓や病気などによって、ワルシャワ・ゲットーで10万人が死亡したと考えられている。生き残った人たちは1942年から絶滅収容所へ送られ、ガス室で殺害されるか死ぬまで働かされることとなった。
このゲットーにいるユダヤ人に待っているのは確実な死。
1943年に絶望的な「ワルシャワ・ゲットー蜂起」が起き、ドイツ軍に鎮圧された後、ゲットーは解体されて地上から消えた。

ワルシャワ・ゲットー蜂起 ユダヤ人が戦いを決断した理由

 

ユダヤ人居住区(ゲットー)を隔離する壁がつくられている。(1940年)

 

ゲットー内のホームレスの子どもたち

 

 

日本はどんな国? 在日外国人から見たいろんな日本 「目次」

【ワルシャワ蜂起】第二次世界大戦で、最も絶望的で凄惨な戦い

歴史責任と多様性 イスラエルに対するドイツの複雑な立場

ユダヤ人女性を愛し、一人だけナチス式敬礼を拒否した漢

ナチス政権下のユダヤ人①水晶の夜事件とアイヒマンの最終解決

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。