【心身の清浄化】神道・ヒンドゥー教・イスラム教ですること

 

日本の有名菓子メーカーのCEOをしているインド人が、日本経済を復活させるための提言を行った。それ自体は良かったのだけど、「日本には移民の受け入れ拡大が必要だ」という内容だったため、ネットでいま炎上騒ぎになっている。
日本ではこれから労働力不足が発生することは間違いないが、いきなり「移民を増やせ」という発想には抵抗を感じる人が多い。

さて、日本ではインドに対してヒンドゥー教のイメージが強い。しかし、実際にはイスラム教徒が1億8千万人もいるとされ、世界第3位のイスラム大国という面も持っている。
今回は、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒のインド人と神道について話した内容を紹介しよう。移民政策はまだ遠い未来だとしても、今日本で進められている多文化共生に役立つと思う。

 

ーー仏教とヒンドゥー教はインドのバラモン教から生まれた宗教で、考え方で重なる部分が多い。神道とヒンドゥー教にも共通点があって、どちらも民族宗教で「穢れと祓い」という考え方を大切にしている。具体的には、神道では茅の輪(ちのわ)をくぐることで罪や穢れを祓うし、ヒンドゥー教ではガンジス川で沐浴をして罪や穢れを祓っている。

そうですね。
「穢れを取り除いて、心身を清浄に保つ」という考え方は、ヒンドゥー教徒にとってとても重要です。でも、それをするのはガンジス川以外でもいいんですよ。
伝統的には、夜明け前に家の近くを流れる川で沐浴をして、太陽の神に祈りを捧げて心身を清浄化します。


ーーなるほど。仏教では、そういう祓いの発想や儀式はないと思う。
それにしても、神道の大祓は年に2回だけど、ヒンドゥー教徒はそれを毎日するのか。

熱心な信者だけですよ(笑)
私は暑い時期、気が向いたときに沐浴をしていました。

ーーそれは入浴だよね?
日本には沐浴の文化が(一般的には)ないから、もし、通行人が服を着たまま1人で川へ入る人を見たら、不吉な予感がして青ざめるかも。

 

伊勢神宮の五十鈴川
昔、参拝者はここで沐浴をしていたらしい。

 

ーーイスラム教にも、神道やヒンドゥー教みたいに「穢れと祓い」の考え方がある?

ありますね。
神に礼拝をする前に、水で手や足などを洗い清めます。
その行為を「ウドゥ」と言って、アッラーは心身が清浄な者を歓迎するので、ウドゥは信者の義務になっています。イスラム礼拝所にはそれをするための場所が設けられています。

ーーそうか。
でも、それは神道の大祓いやヒンドゥー教の沐浴じゃなくて、日本で例えるなら手水(ちょうず)だな。神社やお寺でも、参拝者は入口で水を手にかけたり、口に含んだりして心と体をきれいにしてから、神や仏に近づくことがお約束になっている。
大祓と沐浴はそれをすることで罪や穢れを祓うことができるから、その行為が目的になっている。でも、手水とウドゥは神に近づくための手続きの一つで、それが最終的な目的ではない。

そうですね。ウドゥだけして、礼拝をしなかったら、まったく意味がありません。

ーーそれだと、ただの手洗いになってしまう。

(ヒンドゥー教徒のインド人)ヒンドゥー教と神道には「穢れ」という考え方があるから、「祓い」が必要になります。イスラムにはその概念がないから、それを祓う必要もないのでしょう。

ーーそこがポイントだ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。