6年前、日本がホスト国となって大阪で開催された「G20大阪サミット」では、世界各国のリーダーが集まり、国内では史上最大規模の首脳会議が行われた。このとき、首脳たちが大阪城をバックに記念撮影をする案が出たが、韓国はそれを嫌がったという。
その答えは負の歴史にある。
1月29日は、1598年に朝鮮半島で「蔚山(ウルサンソン、いさん)城の戦い」があった日。
1597年に二度目の朝鮮出兵である慶長の役が始まると、日本軍は明・朝鮮の連合軍を破り、加藤清正らが蔚山に城を建てることにした。
当時、明・朝鮮軍は加藤清正を「日本最強の武将」とみなしていて、彼を捕まえれば日本軍の戦意を喪失させることができると考えた。このチャンスを逃してはいけない。
こうして明・朝鮮軍は蔚山に攻め込み、蔚山城にいる加藤清正との攻防戦が始まった。最終的に清正は城を守り抜き、援軍が来て明・朝鮮軍を撃退。日本軍が勝利した。
韓国で朝鮮出兵は「壬辰倭乱(じんしんわらん)」と呼ばれ、最悪の歴史の一つとされている。それを始めた豊臣秀吉は、韓国人にとっては破壊と虐殺をもたらした“悪魔”だから、400年以上過ぎた今でも許すことができない。
全国紙の中央日報が報じたこのニュースの背景には、秀吉に対するそんな深い恨みがある。(2019.05.24)
壬辰倭乱を起こした豊臣秀吉の本拠地「大阪城」でG20首脳記念撮影?
大阪城は豊臣秀吉が築城し、彼はしばらくそこに住んでいた。もし、首脳たちがそこで記念撮影を行った場合、韓国としては「侵略された国の大統領が侵略者の城を背景に記念撮影することになる」となってしまうらしい。
当時、ハンギョレ新聞も「壬辰倭乱で大きな苦痛を受けた被害国の首脳である文在寅(ムン・ジェイン)大統領は撮影に応じ難い」と報じた。
日韓の複雑な歴史が原因で、過去にも同じような摩擦があった。
2004年に鹿児島県で、盧武鉉(ノ・ムヒョン)大統領と小泉純一郎首相が首脳会談を行うことになったとき、韓国では「場所」が問題視された。
明治時代に日本では、軍事力をもって韓国を開国させようとする征韓論が唱えられた。これは朝鮮半島への武力侵攻を意味するから、もし実現していたら、「第二次朝鮮出兵」になっていたかもしれない。
その征韓論を主張した西郷隆盛の出身地が鹿児島だったため、そこで大統領が会談を行うことには、韓国としては抵抗感があった。
しかし、最終的に韓国は鹿児島での会談に応じた。大阪城での記念撮影にも同意し、「G19」になることはなかった。
世界史を見ると、戦争は数え切れないほどあったけれど、アメリカやフランス、タイ、トルコなどで同じような摩擦があったという話は聞いたことがない。韓国にとって朝鮮出兵はそれほど衝撃的な出来事で、豊臣秀吉に対する恨みが深いということが分かる。
ちなみに、豊臣秀吉が建てた大阪城は 1615年の大坂夏の陣で落城し、豊臣氏は滅亡した。その後、江戸時代に徳川幕府が「豊臣色」を一掃して大阪城を再建したから、現代の韓国がそれほど敏感になる必要はないと思う。大阪観光の際は、安心して記念撮影をしてほしい。
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