海外の多くの国にあって日本にはなかったこと、それが「独立運動」だ。日本は外国の植民地になったことがないため、支配に抵抗して自由と権利を勝ち取ったという経験がない。
そんな日本の真逆にあるのがバングラデシュで、この国は第二次世界大戦後に2回も独立を果たした。1回目は1947年にイギリスから、2回目は1971年の今日、3月26日にパキスタンから独立し、現在のバングラデシュが誕生した。
バングラデシュは歴史的にインドの一部としてあり、18世紀にはインド全体がイギリスの支配下に置かれた。植民地になるというは、国家が奴隷化されるようなもの。
イギリス統治時代、インドでは何度も飢饉が発生し、1943年にはベンガル地方で大飢饉が起こり、80万〜380万人が死亡した。そんな困難を乗り越え、1947年にインドがイギリスから独立すると同時に、現在のバングラデシュは「東パキスタン」としてインドから分離独立した。
当時のインドには多くのヒンドゥー教徒とイスラム教徒がいて、宗教対立が深刻化していた。その対立は殺し合いが起こるほど激しく、平和的共存は難しいと判断され、それぞれが別の国を建設することとなる。こうしてヒンドゥー教徒主体の「インド」と、イスラム教徒が多数を占める「パキスタン」が爆誕した。
すでに死んでいるか、死にかけている子どもを見つめる母親(ベンガル飢饉)
新国家の「パキスタン」は、インドを挟んで西パキスタン(現在のパキスタン)」と東パキスタン(現在のバングラデシュ)の2つの地域から成り立っていた。国民は同じ神を信じるイスラム教徒だったが、東西のパキスタンは約2000キロも離れていた。
これを強引に日本で例えるなら、沖縄と北海道が日本から独立し、1つの国として存在しているようなもので、ちょっと無理があった。
しかし、距離よりも深刻な問題は「国語」だった。
これは歴史の「たらればファンタジー」だが、もし日本人が異民族に支配された後、日本語を禁止され、外国語の使用を強制されたらどうなるか?
それは日本人の民族性を否定することになるから、国民は命をかけて抵抗するかもしれない。
日本ではアニメの世界のような話が、東パキスタンでは現実に起こった。
1948年、パキスタン政府はウルドゥー語を唯一の公用語(国語)と定めたことで、東パキスタンでは政治や行政の場でベンガル語を使用できなくなる。バングラデシュの友人によると、これは「ベンガル語を劣等な言語とみなす行為」であり、とても屈辱的だ。
東パキスタンの人たちは激怒し、1952年2月21日にベンガル語の公用語化を求めるデモを行った。しかし、西パキスタン側は武力でこれに対抗し、デモ参加者を殺害した。この事件が東パキスタンの人々の反発をさらに強め、抵抗運動は激化していった。(ベンガル語国語化運動)
ベンガル語の扱いをめぐって東西パキスタンの対立は深まり、1971年3月26日、東パキスタンはパキスタンからの独立を宣言し、独立戦争が始まった。インド軍の支援を受けた東パキスタンはこの戦争に勝利し、同年12月に自由と権利を手に入れた。この戦いの始まりとなった3月26日はバングラデシュの独立記念日となっている。
「バングラデシュ」という国名は、ベンガル語で「ベンガル人の国」という意味を持つ。1947年にはイギリスから、1971年にはパキスタンから独立し、ベンガル人はようやく自分たちの国を持つことができた。
日本の歴史にはこのような独立戦争はなく、特に戦後はずっと平和な状態が続いた。バングラデシュでは自由を勝ち取った歴史があるため、国民の愛国心はとても強い。
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