日本の交通手段の歴史②駕籠→人力車→バスの移りかわりと進化

 

以前、日本の交通手段の移り変わりの歴史を書いた。
江戸時代で「庶民の足」といえば、時代劇でもおなじみの駕籠(かご)が使われていた。

 

Kusakabe_Kimbei_-_49__Kago,_Travelling_Chair

駕籠

 

でも、明治時代に、和泉要助らが発明したとされる人力車が登場すると、駕籠は急速に姿を消していく。
1885年ごろに蒸気機関車が登場し、日本に鉄道が広まっていくと、今度は人力車が消えていった。
その時代の日本を旅行したアメリカ人のシドモアは旅行記にこう書いている。

駕籠が人力車に負けたように、人力車は蒸気機関車を前にして消えてゆきます

「シドモア日本紀行 (講談社学術文庫)」

 

鉄道がないところでは、バス(乗合自動車)が広まっていった。
明治36年(1903年)の9月20日に、日本初となる乗り合い自動車の運行が京都ではじまり、この日が今の「バスの日」になっている。
ちなみに、翌年の1904年に日露戦争がはじまった。

大正12年(1923年)に関東大震災が発生し、東京は大きな被害を受けた。路面電車が動かなくなってしまったため、800台ほどのバスが人々の足となって活躍した。
ちなみに、この地震を受けて、日本の首都を東京から韓国の龍山(ヨムサン:ソウルの近く)に移すことが検討された。
昭和初期になると、またまたなぜか京都で、日本初となるトロリーバスの運行がはじまる。
トロリーバスとは、上の架線から電気をとって動力として走るバスのこと。

 

これはタイのバス
理解不能なレベルで冷房が効いていて、極寒だった記憶がある。

 

日中戦争や太平洋戦争に突入すると、日本ではガソリンが不足するようになり、ガソリンの代わりに木炭や薪などを燃やして走るバスが登場した。
戦争が終わったあと、昭和26年に京都ではなくて大阪で、日本初のワンマンカーのバスが現れた。
今の日本なら、ドライバーが1人のワンマンバスはあたり前でも、タイなどでは、ドライバーとチケットを売る人の2人がバスに乗っていることがよくある。

それにしても、なんで日本のバスの歴史では「日本初」が関西で生まれるのか?

カンボジアのバス
このトラックの荷台に乗せられ、乾季であれば、マスクがないと一生分の量の砂ぼこりを吸い込むことになる。

 

ちなみに「バス」の語源は、もともとラテン語の「すべての人のために」という意味の言葉だ。
このバス(乗合自動車)の意味から、CDやDVDでよくある「オムニバス(omnibus)」という言葉が生まれた。

 

今では、日本のバスや電車といった移動手段の時間の正確さは世界的に知られている。
あるとき、友人(イギリス人)の母親が日本にきた。
その母親が日本で驚いたことは、時間厳守で走る新幹線だったという。
日本の列車は、明治時代にモレノというイギリス人の指導で誕生したのだけど、いつのまにか弟子が師を追いこしてしまったらしい。

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。