セントレア空港についた。
で、今は飛行機のチケットをもらうために、受付の列にならんでいるところ。
待っている間ヒマだから、中国旅行で経験したニーハオトイレの話を書いている。
前回は、中国が4000年の歴史をとおってたどり着いた「ニーハオトイレ」という奇跡のトイレのはなしを書いた。
今回はその続き。
「この国に行ったらこれをやろう!」
海外旅行に行くなら、たいていそんな目的を持って出かけるもんだ。
「タイへ行ったら、象にのるぞ!」とか。
「カンボジアへ行ったら、クモを食べるぞ!」とか。
「インドへ行ったら、ガンジス川でバタフライするぞ!」とかとか。
ボクの初めての海外旅行は中国。
中国旅行で「これをするぞ!」と決めたてたのがこれ。
「中国に行ったら、ウワサに聞くニーハオトイレに入って『してやろう』!」
当時に日本では、中国のニーハオトイレはとても有名だったと思う。
これと同じぐらい知られていたのは、万里の長城ぐらいだろう。
ちなみに、「してやろう」とは「う○こをする」こと。
下品ですまぬ。
以下、「してやろう」という言葉でかいていく。
これがの初めての海外旅行。
1995年に中国を旅行していたときは、バスや列車の駅の公衆トイレにはニーハオトイレしかなかった。
ドアがついていたトイレなんて見た記憶がない。
「ニーハオトイレでしてやろう!」なんてわざわざ決意しなくても、イヤでもそこでするしかなかったこともあった。
フリー画像が見つからなかったから、画像は「ニーハオトイレ」で検索してくれ。
でも、ボクが体験したニーハオトイレは、上の写真のようなキレイなところではなかった。
雰囲気としてはこんな感じ。
これよりは、ずっと暗くてせまくて低かった。
そして何より、充満する異臭が・・・。
ボクのニーハオトイレ初体験は、「六歩」という小さな村(街?)だった。
広州から桂林にバスでむかっている途中で、のっていたバスが故障しやがった。
それで、後からきたよくわからないバスに中国人の乗客が乗りこんでいるから、ボクもおなじく乗りこむ。
そのバスにのっていたら、六歩という駅についた。
まあ、こういうわけだ。
公衆から、いや、広州から桂林へ。
この六歩から桂林に行くバスがあるということで、そのバスを待っている間に食事をとることにした。
ちなみに、広州を出てからそこで桂林行きのバスチケットを買うまで、すべてメモ帳に漢字を書いて中国人と筆談でやり取りをした。
漢字がわかる日本人で本当に助かった。
このときに出あった欧米人のバックパッカーに話を聞くと、漢字がわからないから中国旅行が本当に大変だったらしい。
目的地まで列車でむかっていても、彼らは駅の文字の漢字を読むことができない。
「通りすぎる駅名もわからない。だから、今列車がどのへんを走っているのか、さっぱりわかん」
そんなグチをこぼしていた。
食事をしてから、ふと思った。
バスに乗っているときに、したくなったら困るな。
その前に、しとくべきかな?
ときは来た。ただそれだけ。
心の底にそんな静かな闘志をもっていすから立ち上がる。
そしてバックパックを背おい、バスターミナルにひそむ決戦の地へと向かう。
ニーハオトイレという巌流島へ。
このときのボクの後ろ姿は、死地へおもむく勇者のそれだったはず。
なんてね。
じゃ、トイレに行ってきます。
続きは、次回。
ちなみに、巌流島(がんりゅうじま)ってのは、山口県にある島のこと。
1612年に、宮本武蔵と佐々木小次郎がたたかった島だといわれている。
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