韓国での葛藤
英国の劇作家シェークスピアの作品『ハムレット』に、こんな有名なセリフがある。
「生きるべきか死ぬべきか(To be or Not to be)」
ちなみに、イギリス人にとってシェークスピアはとても重要な存在だ。
大英帝国の時代には、「(植民地の)インドを失っても、シェークスピアだけは失いたくない」と言われていたという。
以前、韓国を旅行していたとき、ボクも「行くべきか、行かないべきか?」という二択に悩んだことがある。
韓国には犬肉を食べる食文化がある。
たとえば、ポシンタン(補身湯、ほしんとう)は犬の肉を使ったスープ料理で、とても栄養があって人気が高いという。
たまたまソウルで泊まっていた宿の近くに「犬鍋」を出す店があり、宿にいた日本の旅行者から、そこに行かないかと声をかけられ、「犬肉を食べるべきかどうか」でかなり迷った。
異文化体験への好奇心
せっかく外国に行ったら異文化にふれたい。
特に日本にはない食文化を味わってみたいと考えていたから、東南アジアを旅行したときにはヘビやカエルを食してみた。
味は、まぁ悪くはなかったけれど、おいしいとは感じなかった。
あれは肉よりも味付けの問題だろう。
とにかく、異文化経験をして話のネタにはなった。

韓国のお寺
東アジアでは、中国やベトナムでも犬を食べる文化はある。
でも、中国やベトナムを旅行していたときにはそんな店の話を聞かなかったし、『地球の歩き方』にも載っていなかった(と思う)。
韓国は発展していて安心感があったから、前々から「もし犬を食べるのなら韓国かな?」と思っていた。
だから、日本人の旅行者から誘われて、「ハムレット状態」になったのだけど、結局は行かなかった。
やっぱり犬肉を食べることには抵抗があったし、韓国ならいつでも来ることができるから、「今回はいいや」とパスすることにした。
後から、犬鍋を食べに行った日本人に感想を聞いたら、「犬肉はふつうにおいしかったですよ。一緒に来ればよかったのに」と言う。
そのとき、こんなことを聞かれて返事に困った。
「ヘビやカエルは食べたんですよね? なんで犬は食べられないんですか?」
どれも「日本の食文化にはない食材」という点では同じだ。
「気持ち悪さ」で言えばヘビやカエルのほうが上なのに、なんで犬を食べられなかったのか、自分でもよく分からない。

カンボジア人はクモを食べる。
この食文化はポル・ポト時代に生まれたという。
先日、米CNNのニュースで、台湾では犬や猫を食べられなくなることを知った(2017年4月12日)。
「犬や猫を食べるのは違法」 台湾が愛護法強化
台湾の国会で動物愛護法を強化する改正案が可決されたことで、犬や猫の肉を食べることが法律で禁止されることとなった。
この動きの背景には台湾人の考え方の変化がある。
以前は「犬の肉を日常的に食べる社会」だったが、しだいに「多くの人がペットの猫や犬を大切な家族の一員と考える社会」へと変わっていき、今ではそう考える人が主流を占めるようになった。
台湾の蔡英文(ツァイインウェン)総統は、大の動物好きで知られているから、その影響もあったと思われる。

韓国の市場
日本にもあった犬食
今では考えられないけれど、江戸時代には、実は日本人も犬を食べていたのだ。
かつて江戸では武家も町方も、下々の食べ物として犬にまさるものはなく、とくに冬場は犬をみかけしだいに殺して食べていたという(大道寺友山『落穂集』)。
会津藩の江戸屋敷で奉公人たちが犬喰いをしていた話も残っている。「詳細 日本史研究 山川出版」
消えゆく犬肉食
いま世界的に、犬肉を食べることを禁止する風潮が広がっている。
とくに欧米のメディアが東アジアの犬肉文化を強く批判していて、韓国や台湾では「国際的なイメージの失墜」を気にする人が多い。
「一つの食文化を失っても、名誉は失いたくない」という思いだろう。
「その気になったら、いつでも韓国に行って犬肉を食べることができる」なんて考えていたが、それもできなくなってしまうかもしれない。
もし、犬肉を食べる気持ちがあるのなら、「善は急げ」で早く行動するべきだ。
迷っているうちに、犬食の文化がなくなってしまう。
ちなみに、韓国でも犬食は本当は違法だ。
でも、実際には見て見ぬふりをされていて、レストランで食べることができるらしい。
くわしいことはニューズウィーク誌の記事を読んでほしい(2017年7月24日)。
韓国では犬肉を食用に販売することは法律で禁じられているが、実際にはこの法律はほとんど施行されておらず、取引市場や犬食のレストランも公然と営業を続けるほど、犬食が盛んだ。
韓国でスープになる直前の犬を救出 ベトナムでは犬食が国際問題に!

中国で見かけたサソリの揚げ物
こちらの記事もいかがですか?
今の韓国人は漢字をどう思う?漢字を読めないハングル世代はいつから?

コメント
コメント一覧 (5件)
私は韓国人と日本人のハーフです。母と母の両親は日本で産まれ、日本語しか話せないですが、国籍や血統は韓国です。そのため、母の両親の両親(私から見て曽祖父母たち)はみんな韓国で産まれ育ったため韓国語と少し日本語が話せる程度でした。
母が小さい頃、家にフミヤという柴犬を飼っていました。家族で可愛がり、本当に愛情を持って育てていたそうです。ですが、ある時(私から見て)曽祖父が知り合いの妊婦にフミヤを捌いて渡したんです。曽祖父は可愛がってるとは思わなかったと言っていたそうです。
その話を聞いてから、私は犬食を受け付けなくなりました。もちろん家で出たことも見たこともないですが、体感として凄く身近に犬食があったんだと思うと悲しい気持ちになります。かと言って反対デモは行いません。個人の感情を他人に押し付けることは凄く野蛮なことだからです。犬食を可哀想だから禁止とすると、牛や豚や鶏も禁止にするべきだと私は思います。彼らにも感情はあるのですから。犬食自体は文化かもしれないですが、勝手に家族を捌いて渡すのは許せないし同じ人間とも思えません。私には犬食は本当に難しい問題です。
コメントありがとうございます。
友人の韓国人の女の子を思い出しました。
その子は幼稚園ぐらいの時に、おじいちゃんに連れられて犬鍋を食べたそうです。
でも、大人になってから犬がかわいくなります。
それで、犬を食べてしまったことを思い出すと心苦しくなるそうです。
自分の価値観は自分内で有効と考えるべきですね。
日本人がイルカやクジラを食べることを非難する外国人もいますが、何を食べるかどうかはその国の問題ですから。
外国人が良い悪いを言うと、別の問題がうまれてしまいます。
先日、犬食は難しい問題とコメントした者です。
実は、わたしはいま高校生なのですが、改めてこちらの記事を見て、人同士の価値観や命の尊さなど、本当にたくさん勉強になりました。
kokontouzaiさんの仰る通り、食べる食べないはその国々の文化の違いです。
ですが、畜産業の実態を踏まえて、もし自分が食用の動物として産まれたら…と考えると、わたしは本当に心苦しくなります。今まで食べ切れなくて残してしまったことを思い出して、命を頂いているのに申し訳ないことをしたと、心苦しくなります。
力のある者が弱い者を食べるのは弱肉強食で自然の摂理ですが、牛や豚に人工授精をさせたり、品種改良して人間の都合のいいように創ることは本当に正しくて真っ当なことなのかな…と考えさせられました。
そんなことを考えていると動物由来のものを口にするのが躊躇われて、ヴィーガンの生活になりました。私にとって大きな人生の転機です。
この記事のおかげで、今まで食べ物として当たり前だった動物たちのことを、初めて考える良い機会になりました。また、長々と書いてしまいましたが、私の人生においてとても大切なことを学べた気がします。本当にありがとうございました。
こんにちは。
そう言ってもらえると、記事を書いたかいがあります。
ありがとう。
イギリス人の友人で個人的な考えからヴィーガンになった人がいます。その人を思い出しました。
>もし自分が食用の動物として産まれたら
これは仏教の輪廻の考え方ですね。
その仏教のでは、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という考え方があります。
「生きとし生けるものは、すべて生まれながらにして仏となりうる素質をもつ」という意味です。
牛や豚にも仏性があるということですから、大事にいただきたいと思います。
個人的にそう思っています。
「アジア犬食紀行」見てみなさい。