前回、「ポリティカル・コレクトネス(PA:political correctness)」という考え方について書いた。
ポリティカル‐コレクトネス(political correctness)
人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること。
米国で、偏見・差別のない表現は政治的に妥当である、という意味で使われるようになった。言葉の問題にとどまらず、社会から偏見・差別をなくすことを意味する場合もある。
デジタル大辞泉の解説
この考え方にもとづいて、「より適切な表現に変えよう」とアメリカではいろいろな言葉が変えられている。
たとえば、ポリスマンは「ポリスオフィサー」になったしカメラマンは「フォトグラファー」になった。
ポリティカル・コレクトネスの考え方が日本にも伝わって、スチュワーデスが「CA(キャリア・アテンダント)」に変わった。
他にもこんな言葉が変わっている。
看護婦は「看護師」になった。
保母さんは「保育士」になった。
クレヨンの肌色は「ペールオレンジ」になった。
このへんのことは、前回を読んでください。
ポリティカル・コレクトネスの考え方が広がっていき、最近のアメリカでは「メリー・クリスマス」と言わずに「ハッピー・ホリデーズ」ということが増えている。
「メリークリスマス」はキリスト教でのあいさつの言葉だけど、アメリカにはユダヤ教徒やイスラーム教徒もいる。
「そうした異なる宗教の人たちにも配慮した言葉がいい」ということで、特定に宗教を連想させない「ハッピー・ホリデーズ」という言い方がアメリカでは好まれているという。
ポリティカル・コレクトネスの考え方からしたら、この言葉のほうが適切だということで。
でも、こうしたアメリカの風潮を嫌う人もいる。
日本人には信じられないかもしれないが、アメリカの大多数のテレビではクリスマスに「メリークリスマス」とは言わず、代わりに「シーズンズ・グリーティング」(季節のあいさつ)と言う。「ジングルベル」も流さない。
ただこの文を書いたのは、テキサス州のアメリカ人ということには注意したほうがいい。
テキサスのアメリカ人はクセがあるというか、独特の考え方をしている人が多い。
ハッキリ言って、テキサスのアメリカ人を嫌っているアメリカ人はたくさんいる。
シカゴ出身のアメリカ人は、「オレをテキサスのアメリカ人と一緒にしないでほしい。あいつらはおかしいから」なんてことを平気で言う。
「本当か?」と疑問に思う人は、ロスアンゼルスやニューヨークのアメリカ人にも聞いてほしい。
でもテキサスのアメリカ人だけではなくて、ニューヨークにいる友人のアメリカ人もポリティカル・コレクトネスの考え方はあまり好きではない。
「あれはあまり効果がないから」と話していた。
彼女の考えでは、差別にはならない言葉を覚えても、心に差別意識があったら意味がないという。
ポリティカル・コレクトネスが進んで差別的な言葉が減っても、アメリカ人は結局トランプを大統領に選んでいる。
黒人の彼女から見たら、「これはアメリカ人の人種差別の意識は変わっていない」ということになるらしい。
この選挙の結果に、彼女はがっかりしたというより絶望していた。
「ポリティカル・コレクトネスの考え方が広がっても、ニューヨークでは白人を頂点にしてアジア人、ヒスパニック、そして底辺に黒人という順序がある」とハッキリ言う。
ウィキペディアのポリティカル・コレクトネスのページには、黒人についてこう書いてある。
人種・民族においては、黒人を指す「Blackブラック」がアフリカ系アメリカ人を意味する「African Americanアフリカン・アメリカン」に置き換えられた。
でも黒人の彼女は「Black(ブラック)でいい」と言う。
他のアメリカ人も「ブラックでいい」と言っていた。
*でもこれは状況にもよる。
言葉に注目が集まりすぎると、「ブラックをアフリカン・アメリカンにしたらいい」という言葉の言い換えだけで終わってしまう。
流行に敏感になったり意識高い系になってたりして、正しい言葉を覚えても意識が変わらなかったら意味がない。
逆に、正しい言葉を使わせることによって、人種への不満がたまりやすくなった面もあるという。
こうした背景によって、トランプ大統領が生まれたと話していた。
ニューヨークといえばブルックリン橋が有名。
でも意外なことに、ニューヨークで生まれ育った彼女はここに自分で来たことがないらしい。
yeah! Theyre at brooklyn bridge park!
Ive never been there myself. But Ive heard its a nice park
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