日本とイギリスの関係:400年前、日英の歴史はこうして始まる。

 

「Japan400」というウェブサイトがある。
今から400年前は江戸時代で、徳川家康の子・秀忠ひでただが将軍として日本を治めていた。
といっても実際には、家康が大御所(おおごしょ)として力を持っていたのだけど。
日本とイギリスの関係が始まったのがこの時代、1613年だったから、2013年に日英交流400年を記念して「Japan400」というウェブサイトが開設された。

それで日本とイギリスで、お互いの文化や歴史などを紹介するイベントが行われたのはいいとして、なんで大英博物館は春画の特別展をチョイスしたのか。
春画とは江戸時代に流行した性風俗を描いた絵のことで、いまでいうならエロ本になる(死語?)。
理由はよく分からないけど、イギリス人は「Japan400」でこれを選んだ。

 

イギリスの日本大使館のサイトには、Japan400: 400 years of Japan-British Relationsというページがあって、日本とイギリスの関係について説明している。
それによると日英の交流はこうして始まった。

「Four hundred years ago the Clove, a wooden ship belonging to the East India Company arrived in Japan with official letters and gifts including the first telescope ever seen in Asia to be presented to the retired Shogun Tokugawa Ieyasu, and a precious cup and cover for his son and ruling Shogun, Tokugawa Hidetada. 」

400年前、東インド会社の木造船が日本へやってきた。
乗っていたイギリス人は引退した将軍・徳川家康にアジア初の望遠鏡を、息子で将軍の秀忠には貴重な杯とフタなどをプレゼントし、公式な手紙を渡した。
このお礼として秀忠はイングランド王ジェームズ1世に2つの甲冑(かっちゅう)を、家康は金箔で描かれた10枚の屏風を贈り、日本とイギリスでの貿易を認める「朱印状」も渡した。

ということで、日本とイギリスの交流を始めたのは家康で、これが「Japan400」につながる。
タイとの交流をスタートさせたのも家康だったから、彼はかなり国際的な視野を持つ人だった。

 

ジェームズ1世

駿府(今の静岡市)で家康はジェームズ1世の使者と会っている。
くわしくはここを↓
大航海時代の駿府の家康公

 

ここまで、日本とイギリスが正式な関係を築いた経緯について書いてきた。
外務省のサイトでは、日本へ来た初めてのイギリス人であるウィリアム・アダムスによって、日英の交流の歴史が始まったと書いてある。

日英両国は、1600年に英国人航海士ウィリアム・アダムス(三浦按針)が、豊後(現在の大分県)にオランダ船で漂着して以来、約400年にわたる交流の歴史を有する。

二国間関係

 

ウィリアム・アダムスは徳川家康に召し抱えられて、イギリス人でありながら武士(日本人名:三浦按針)になったというかなり変わった人物だ。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。