はじめの言葉
「日本の植物栽培家は、いくら賞賛しても足りないくらいで、彼らの作り出す庭園や植物はすばらしい」
「いかなる外国の植物群も、日本の観賞用植物ほど多様性と美しさを兼ね備えていない
(シーボルト 江戸時代)」
「日本賛辞の至言33撰 ごま書房」
今回の内容
・日本のお坊さんは結婚OK
・日本のお坊さんは給料制
・日本のお坊さんはプロテスタントの牧師で、タイのお坊さんはカトリックの神父
・日本のお坊さんは結婚OK
友人のタイ人が日本で衝撃をうけたことが「お坊さんは結婚ができる!」ということ。
タイ仏教では絶対にありえないという。
タイのお坊さんは結婚どころか、女性に触ることさえもできない。
逆に、女性も僧侶には触れてはいけない。
バンコクの地下鉄にはお坊さん用の席がある。
その理由はお坊さんは尊敬されているからということもあるけど、別の目的もあるらしい。
タイ人の女性がその席の辺りには近づかないことによって、僧侶が女性と一定の距離をたもつことができる。だから、偶然にでも女性が僧侶に触れることがないようにする目的もあるらしい。
お坊さん優先席の表示(バンコクの地下鉄)
・日本のお坊さんは結婚OK
さて中学校の歴史の授業で、鎌倉時代の仏教僧、親鸞(しんらん:1173~1262)について習ったはずだ。
浄土真宗の開祖で、「阿弥陀仏の救いを信じる心をおこすだけで極楽往生できると説く、絶対他力をとなえ、悪人正機説を立て、地方武士や農民に布教した。(日本史用語集 山川出版社)」というお坊さん。
開祖である親鸞が結婚したことから、浄土真宗では昔から結婚が認められていた。
親鸞聖人が、鎌倉時代に恵信尼という女性と結婚されたんです。以来、浄土真宗ではお坊さんが結婚してもよいことになっています
(ぼうず丸もうけのカラクリ ダイアモンド社)
タイの仏教では絶対にありえない結婚を親鸞はなんでしたのか?
それは内面の信仰を重視したから。
親鸞は僧侶でもなく俗人でもない非僧非俗という生き方を実践していました。子どもは七人いたとされています。
阿弥陀如来を信じて、すべてを委ねていれば浄土に行ける。
自分の力でよい行ないをしたり、修行をしたりするのは、阿弥陀如来を信じていない証拠だ。
それが親鸞の考え方でしたから、戒律などを気にする必要はありませんでした。
これはそれまでの日本の仏教にとって、あまりに大きな改革でした。(池上彰と考える 仏教って何ですか? 飛鳥新社)
ということで江戸時代には、浄土真宗だけが結婚することができた。
日本のすべてのお坊さんが結婚することができるようになったのは明治になってから。
今度は明治時代のお話になります。ときの明治政府が「べつに、お坊さんが結婚したっていいんじゃないのぉ~」というお告げを出したんです
(ぼうず丸もうけのカラクリ ダイアモンド社)
明治政府がお坊さんの結婚を認めたことで、日本の仏教僧は結婚できるようになった。
これは海外ではちょっとありえない。
近代社会では政治と宗教を分けて考える「政教分離」が常識。
だから19世紀の欧米諸国で政府が宗教の教義に関することで決定権を持っていて、それを行使したなんてことは聞いたことがない。
でも、日本はそれができた。
タイで政府が仏教僧に結婚の許可をだすことは考えられない。
政府に仏教の教義を否定する権限はないだろう。
日本とタイの仏教の違いにはこうした宗教と政治の距離感の違いもある。
・日本のお坊さんは給料制
お坊さんの給料は基本的に「月給制」。たとえば「20日締めの35日払い」のように、普通の会社と同じような給料体系なんです
(ぼうず丸もうけのカラクリ ダイアモンド社)
日本の仏教の場合は、「職業」としてお坊さんをしていると考えてもいいと思う。
その日の仕事が終われば、ジーンズ・Tシャツに着替えて、ビールを飲みながらテレビを見ることができる。
毎月給料が支払われることについては、ふつうのサラリーマンと変わらない。
タイのお坊さんの場合、僧侶である限りは「終わり」はない。
「仕事」が終ったら、袈裟(ケサ)から私服に着替える、ということはない。
タイのお坊さんは365日24時間、仏教僧であり続けているから、「私服に着替える」という必要性もその発想もない。
当然、タイのお坊さんには給料はない。
月末になったら、ニヤニヤすることもない。
その代わり、衣食住のすべてはタダ。
タイでも仏教の教えが厳しいところでは、お金に触ることができない場合もあるらしい。
日本のお坊さんのことで驚いたのがこれだ。
雇われているお坊さんが「除夜の鐘」などで深夜まで仕事すれば、当然「残業手当」がもらえます
(ぼうず丸もうけのカラクリ ダイアモンド社)
除夜の鐘をついたら、残業手当が出ることがある!
こんなことはまったく知らなかった。
ますますお坊さんがサラリーマンに見えてしまう。
当然、タイの仏教界には「残業手当が通帳に振り込まれる」ということはありえない。
・日本のお坊さんはプロテスタントの牧師で、タイのお坊さんはカトリックの神父
タイのお坊さんは結婚はできないし、飲酒も肉食も禁止されている。
日本のお坊さんは結婚できるし、飲酒も肉食もできる。
でも、このことをもって「日本のお坊さんは、タイのお坊さんよりダメ」とか「日本の仏教は東南アジアの仏教よりいいかげん」ということにはならない。
キリスト教の宗派(教派)にはカトリックとプロテスタントがある。
カトリックの聖職者は神父でプロテスタントの聖職者は牧師になる。
神父と牧師にはこんな違いがある。
カトリックの神父はキリスト教の教えにしたがって、結婚することができない。
プロテスタントの牧師はキリスト教の教えにしたがって、結婚することができる。
キリスト教の考え方(解釈)が違うだけで、どちらも正しい。
日本のお坊さん(仏教)とタイのお坊さん(東南アジアの仏教)も、考え方が違うだけでどちらも正しいのだ。
あえて言えば、タイのお坊さんはカトリックの神父のような存在だ。
タイのお坊さんは仏教の厳しい戒律を守るという「行為」を重視している。
戒律を守っているから、人びとの尊敬が集まるし人びとの上にいる。
タイではお坊さんと庶民の距離が遠い。
日本のお坊さんはプロテスタントの牧師のように、内面(信仰)を重視している(東南アジアの仏教に比べれば)。
結婚する・お酒を飲む・肉を食べるという「行為」は、タイや東南アジアの仏教ほどは大事だとは考えられていない。
日本のお坊さんは、タイのお坊さんよりも親しみのある存在で、ふつうの人びととの距離も近い。
前の記事で書いたけど、「坊主バー」のようにお坊さんが人びとに近づくことは、タイの仏教ではないだろう。
こんなコンセプトのバー。
「現役の僧侶と楽しく過ごす 僧侶の法話を聴く 人生を語り合う そんなBARです」
この距離感もカトリックの神父とカトリック信者、プロテスタントの牧師とプロテスタントの信者の距離に似ている。
タイの仏教のお寺はカトリックの教会のように派手!
日本のお寺はプロテスタントの教会のように地味。
ここまで読んできて、「何で日本の仏教では、飲酒や肉食がOKなのか?」 と疑問をもった人もいると思う。 それには、こんなワケがるらしい。
日本や中国に伝わった大乗仏教では、僧侶は信仰心が厚いのだから、戒律は自然に守られるという考え方に立脚しています。
その結果、とくに日本では僧侶も飲酒、肉食、妻帯もよいこととされて、何か悪いことをすれば、僧侶であれ誰であれ、自業自得としてバチがあたるからそれでよいのだという考え方なのです。(仏教108の謎 田代尚嗣)
やっぱり、内面の信仰を重視ているらしい。
この点でも、プロテスタントの信仰と似ている。
よかったらこちらもどうぞ。
日本のタイ(東南アジア)の仏教の違い① 飲酒・肉食・喜捨(タンブン)
日本とタイ(東南アジア)の仏教の違い② 宗教と金儲け・タイにはない戒名
アメリカ人と京都旅行 ~日本人とキリスト教徒の宗教観の違い~ 1~5
アメリカ人と京都旅行 日本人とキリスト教徒の宗教観の違い 6~11
>>近代社会で、政府が宗教の教えに関することで、命令をだすことは聞いたことがない。でも、日本はそれができた。
これはよく勘違いされていることですが、間違いです。明治政府は「今より僧侶の肉食・妻帯・蓄髪等勝手たるべし事」の布告を出しました。これは「江戸幕府が禁じていた」ものを「これからは自由にすればいい」と言ってるだけのことで、「命令」ではありません。それを受けてそれぞれの宗派・僧侶個人が戒律を無視しただけの話で。
>>近代社会で、政府が宗教の教えに関することで、命令をだすことは聞いたことがない。でも、日本はそれができた
>>タイで、政府がお坊さんに結婚の許可をだすことは考えられない。
政府にそんなことができるわけがない。
これは解釈がおかしいです。「江戸幕府という『政府』が浄土真宗以外の僧侶の肉食妻帯を禁じるという『命令』(寺社諸法渡)を出していたのを、『近代政府である明治政府』がその命令をなくした」わけで、解釈が逆です。
そしてタイは憲法で仏教と王権の結びつきが法文化されており、王が「仏教の保護者」として憲法上規定されているがために、王の代理執行期間の政府が、仏教関係法を制定、施行しているわけで、こちらもまったく逆です。
「政府が宗教の教えに関することで、命令をだすことは聞いたことがない」というのは、その前に「許可をだした」と書いてあるので確かにおかしいですね。
訂正しておきました。
ご指摘ありがとうございます。
タイについてですが、国王は「仏教の保護者」ですから、仏教の根本教義を否定するはできないはずです。
「仏教関係法を制定」には制限があって、タイ政府が僧の結婚を認めてその布告を出すことは考えられません。
でもそれは私の個人的な意見ですので、タイ政府が仏教の核心的な教義を公式に否定した事例があったら教えてください。
タイでは一時出家が一般的ですが既婚者の出家でも離婚の必要はなく、出家中は結婚していない扱いになります。そういうわけで実際の運用としては日本とほとんど変わりません。
そういう事実を隠して日本の仏教をディスるのはやめましょう。
この記事では一時的な出家僧だけを対象にしてはいないのですが、それでも「出家中は結婚していない扱いになります」ということから、タイ仏教では結婚が認められていないことがわかります。
記事で書きましたが、日本の仏教信仰はプロテスタントに近いです。それをディスると感じるかどうかはその人しだいです。
現存する上座部仏教と大乗仏教をカトリックとプロテスタントの新旧対立の関係という前提でお考えのようですが、上座部の歴史を実際に見てみると相当に訂正の必要があると申し上げておきます。
詳しくは馬場紀寿氏の著作「上座部仏教の思想形成」をご覧ください。
あとタイの寺院でも托鉢以外で普通に食事で肉が出たりしますのでご注意ください。
ついでに申し上げておきますと日本仏教が金儲けばっかりというお考えをお持ちのようですが、参考にしている「ぼうず丸もうけのカラクリ ショーエンK著」はデマと偏見、拡大解釈のオンパレードのため参考資料としては致命的に不適格であると指摘しておきます。日本のお寺の経済事情についてはこちらの動画が信頼の置けるエビデンスを元に解説していますので是非参考にして下さい。
https://youtu.be/y1NFn_kcFsI
カトリックとプロテスタントを対比しましたが、対立については言及していません。
上座部仏教と大乗仏教についても書いていません。
日本仏教とタイ仏教について書きました。
大乗仏教といっても日本・韓国・中国で仏教はそれぞれ違いますから。
「タイの寺院でも托鉢以外で普通に食事で肉が出たりします」というのは初耳です。
その具体的な内容と肉が出る頻度を教えてもらえますか?
「ぼうず丸もうけのカラクリ」については引用した部分が正しければ問題ありません。
「デマと偏見、拡大解釈のオンパレード」というのはひとつの見方として受け止めておきます。
出版社が出版を停止したとか著書が訴えられたという話は聞いていませんので。
まず葬式で約一時間で時給云々が大間違いです。基本的に前日から枕経やお通夜があるのでその流れで葬式当日の打ち合わせや戒名の確認などを施主の方や葬儀社と一緒に行い、白木の位牌の準備(戒名などを手書き)も行いますので2日がかりになります。
戒名料百万とかいうのもほとんど実体のない都市伝説みたいなものです。もしあったとしても全体の1%にも満たない代物です。むしろ戒名料を最初から取らなかったり、2~3万とか数万程度のところが主流なので戒名料で金の亡者云々というのも実態のない偏見です。
日本仏教ディスりの意図はないとアリバイつくり程度に書かれてますが、この内容や構成では大抵の人がそのようには捉えないでしょうね。
托鉢以外で寺院内で肉が出てきた例は信者が寺まで来て食べ物などを持ってきてくれたケースが実例になります。托鉢の定義が「僧侶が信者宅まで出向いて食べ物をもらう」ですのでまぎれもなく托鉢以外のケースです。
知り合いで向こうに行って出家された人から確認した情報です。
あと日本のお寺は金儲けばかりというのは典型的偏見で経済事情が極めて苦しいというのは前日の動画でご理解いただけたかと思います。
そして先日言った結婚云々ですが、あくまで実際の運用について話しているのでその辺を履き違えないようにしてください。
どうやらタイの仏教に関して色々伏せている情報があるようですがあちらもあちらで色々問題があることを申し上げておきます
http://www.newsclip.be/article/2015/05/18/25653.html
http://blog.esuteru.com/archives/9262781.html
最後に申し上げますが、現在では日本仏教も上座部を含めた海外の仏教も実態の部分が相当に知れ渡っています。そのため以前のような日本仏教ディスりの殆どはまともな根拠のないものだとほぼバレています。そのためこれまでなら通じてたようなディスり方はむしろ批判の的になることが確実かと思われますのでそれでもやるなら相当の覚悟と理論武装をしないと大火傷をすることでしょう。
この記事の中で「葬式で約一時間で時給云々」、「戒名料百万」という話はでてきません。
この記事と関係ないのでが、「小さなお葬式」というサイトに「宗派別に戒名のランクごとの戒名料」があります。
真言宗・天台宗の場合、戒名が信士・信女なら30~50万円、居士・大姉なら50~70万円、院信士・院信女なら80万円~、院居士・院大姉なら100万円~とでています。
浄土宗日蓮宗やなどで相場は違いますけどね。
「信者が寺まで来て食べ物などを持ってきてくれたケースが実例」という話は事実でしょうか?
タイ人に話をききましたが、「あり得ない」と言いました。
そのタイ人は誕生日にお寺へ食べ物を持って行って、僧からありがたいことばをもらったことがあります。
仏教で肉食は禁止されているのはタイ人なら誰でも知っているのに、あえて肉を持って行く理由はありません。
たしかに、寺に行くときは服や靴に気を使うタイ人が嫌がらせのような行為をするのは不自然で。
この状態が「普通」というのは私やタイ人が知っているタイではありません。
プロテスタントに似ているというのが「日本仏教ディスり」になる理由はわかりませんが、あなたの解釈はあなたの中では絶対的に正しいものなので、それを否定する気もありません。