「日本のお米が大好き!」
そんなうれしいことを言っていたアメリカ人の女の子がいた。
日本のお米が好きすぎて、そのアメリカ人は変わったこともしていた。
一緒に一蘭のラーメンを食べに行った時のこと。
「何のラーメンにする?」
と聞いたら、その子は「ラーメンは食べない」と言う。
「え?」と驚いたら、こういうことだった。
一蘭のご飯はとてもおいしい。
だから、ご飯は食べたい。
でもラーメンとご飯を食べると、カロリーがすごいことになる。
だから今回はラーメンはやめて、その代わりにご飯を2杯食べることにした。
ということらしい。
「なんだおまえ」と思ったけど、まあ好きなものを食べればいい。
でも、ラーメン屋に行ってご飯だけ食べる人間を初めて見た。
たぶん、これが最後だと思う。
「あれ?ラーメンは食べないんですか?」と店員が驚いたのも当たり前。
そのアメリカ人は帰国後、ニューヨークの一蘭に行っている。
この時はしっかりラーメンを食べていた。
このシステムも日本と変わらない。
でもラーメン一杯で2000円ぐらいしたという。
日本で食べとればよかったのに・・・。
最近、韓国のメディアが日本の米について記事を書いている。
日本を旅行した韓国人はよくこんなことを言うらしい。
「韓国と日本のご飯を比べると、明らかに日本のご飯のほうがおいしい」
韓国の農業の専門家もそれを事実だと認めているという。
そこでこの記事が「日本の米が韓国のものよりおいしい理由は何か?」ということを説明している。
レコードチャイナの記事(2017年7月19日)にそのこと書いてある。
日本のお米が韓国のものよりおいしいを箇条書きで抜き出してみる。
・日本の米の品質や炊飯技術が韓国よりも高い。
・韓国人はいいお米を知らない。韓国では、米を売る側が消費者に米の情報をしっかりと伝えていないから。
・日本では一般的に、コシヒカリやササニシキといった米をそれだけで売っている。でも韓国では、いろいろな品種の米が混ぜられた「混合米」が多い。「単一品種表示で流通したコメは全体の26%にすぎなかった(同記事)」という。
そしてこんな韓国人のコメントが載っている。
「韓国人は、ただの白飯、と考えてコメに気を遣わない傾向がある」
「問題は、韓国の食堂ではほとんどが炊いたご飯を容器に入れたまま置いておくことだよ。だからまずいんだ」
「日本は代々家を継ぐ職人が多い。このことが、先進国になる基礎になったようだ」
「日本のお米はおいしい!」と評価してくれるのはうれしいことだけど、昔はそうでもなかった。
昭和のはじめごろは、日本の米は台湾の米に負けていた。
江戸時代の旅人、おにぎりを食すの図(歌川広重の『東海道五十三次細見図会 藤沢』)
日本でおいしい米がとれるところはどこか?
そういう場所は日本各地にあるけれど、北陸の米は特においしい。
新潟県は日本一の米どころだし、コシヒカリは福井県で生まれている。
北陸米よりおいしいお米なんて、なかなかないだろう。
でも、それは現在の話。
昭和のはじめごろ、北陸のお米は全然おいしくなかったらしい。
「北陸でとれた米は、鳥も食べないほどマズイ。食べずにその米を通りすぎるほど」ということから、「鳥またぎ米」と言われていた。
新潟県のホームページから。
昭和の初めまでの「新潟米」は鳥ですらまたいで通る「鳥またぎ米」と言われていました。
今のコシヒカリからは想像できないが、この当時の北陸の米の味はひどいものだったらしい。
そんな北陸米を大きく変えたのが「農林1号」で、これが開発されて以降、新潟米の評価はだんだんと回復してきた。
この後はとんとん拍子でうまくいった、ということはない。
いろいろな試行錯誤・紆余曲折、あらゆる困難を乗り越えて、今のおいしい北陸米にたどり着いている。
ローマは一日にでは成らないのだ。
日本人なら、農林1号という品種と並河成資(なみかわ しげすけ)という人をぜひ知っておいてほしい。
この農林1号は初めて農林登録されたイネの品種で、これからコシヒカリやササニシキなどが生まれ、多くの日本の祖先となった品種だ。
コシヒカリやササニシキのない日本米なんて考えられない。
日本人がつくり出した米の品種で、農林1号以上のものはないだろう。
評論家の山本七平氏は、この農林1号を「世界ではじめての『寒冷地用水稲』」と書いている。
農林1号が誕生したことで、寒い北陸や東北でおいしい米がとれるようなった。
それだけではなくて、この米は食糧難のときにたくさんの日本人を救っている。
これによってどれだけ多くの人が救われたかわからない。それは単に東北の農民を冷害から救っただけでなく、戦中戦後の食糧事情の苦しいとき、多くの人を飢餓や栄養失調から救った。「農林1号」は、ある意味では何よりも貴い資産であり、その後の品種改良の第一歩であった。
「昭和東京ものがたり (山本七平)」
日本の米の質が台湾の米に勝るようになったのは、この後のこと。
公益社団法人農林水産・食品産業技術振興協会(ながっ!)のホームページから。
安くて良品質の台湾米に圧され、米市場でも不評だった。 台湾米より出荷が早く、品質のよい米がほしい。要望に応(こた)え登場したのが農林1号だった。早生で良品質・良食味、その上多収とあれば、農家はもちろん市場にも歓迎され、 急速に普及していった。昭和16年には北陸・東北を中心に17万ヘクタールにまで達し、10~20%の増収をもたらしたという。
日本でおいしいお米がいつ生まれたか?
農林1号の誕生は間違いなくその大きな節目になる。
その農林1号をつくったのが並河成資(なみかわ しげすけ:明治30年- 昭和6年)という品種改良家だ。
この人は日本のお米の恩人のような人。
農林1号をつくり出したことで、結果的に多くの日本人を救っている。
韓国では並河成資のような人物がいたのだろうか?
もしいなかったとしたら、韓国のお米が日本よりおいしくない理由には、きっとそのことがあるだろう。
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旅㉖日本人として、アメリカ人に「米とおにぎり」について話す。
まずい米を探しています。 昭和の頃、岩手県北部の山岳地で栽培されていた米が、県南のササニシキに比べ恐ろしくまずかった、のですが、このブログを読んで、あの米の品種は何だったんだろう? と思うようになりました。 岩手県北山岳地は北海道に匹敵する寒冷地です。そこで生産できたと言うことで、ひょっとしてここで出てくる 農林1号 に関連する品種だったのか?
でも農林1号はうまいとあるのに、 あの米は まずかった・・・(ササニシキに比べれば)
ということで、昭和40年代頃に北東北、北海道で生産された寒冷地適用の米を調べてみたいと思います。 楽しいブログありがとうございました。
こちらこそ、読んでいただきありがとうございました。
何のお米だったんでしょうね?
私も「農林1号前」の寒冷地のお米は分かりません。
もし何か分かったら、教えていただけるとうれしいです。
私も興味がありますから。