はじめの一言
「朝鮮の両班たちは貴族社会の全体的風潮である搾取と暴政をこれまで事実上ほしいままにしてきた。この点について日本は新しい理論を導入し、庶民にも権利はあり、各階級はそれを尊ばなければならないということを一般大衆に理解させ、無料新聞も同じ路線をとった。(イザベラバード 明治時代)」
「朝鮮紀行 講談社学術文庫」
今回の内容
・「先祖を恨めしく思った」
・日本の伝統文化の育て方
・「先祖を恨めしく思った」
前回、こんな韓国人記者の「恨み言」を書いた。
なぜ朝鮮の陶磁器産業は大きく発展せず世界的な名声を得ることもできなかったのか
この恨み言は、韓国の新聞紙「中央日報」のコラムにある。
壬辰倭乱当時に日本に連行されなかった陶工が朝鮮の地にはるかに多くいたはずだが、なぜ朝鮮の陶磁器産業は大きく発展せず世界的な名声を得ることもできなかったのか、子孫にきちんと伝授されなかったのか、先祖を恨めしく思ったりもした。
切ない質問を投じる。
*「壬辰倭乱」というのは、豊臣秀吉の「朝鮮出兵」の韓国でのよび方。
「なぜ朝鮮の陶磁器産業は大きく発展せず世界的な名声を得ることもできなかったのか」
そのもっとも大きな原因は、朝鮮時代に「国のお金がなくなったから」ということでしょ。
韓国の歴史教科書(高校)にはこう書いてある。
朝鮮後期には官営手工業を維持することさえ難しくなっていた。(韓国の歴史 明石書店)
国にお金がなくなってしまい、手工業を保護したり育成したりすることがむずかしくなってしまった。
これは朝鮮の磁器産業を発展させるうえでは、大きな痛手になったはず。
朝鮮時代の後期には、国の財政悪化によって職人に給料を出すこともむずかしくなった。
職人にしてみたら、がんばって陶磁器をつくってもその作品を買ってもらえなかったら意味がない。
それでは生活ができなくなる。
だから官営(国立)の作業場から出ていき、出て自分で「お店」を開いて庶民に陶磁器を売る職人が増えてきた。
韓国の歴史教科書には次のように書いてある。
次第に民間手工業へと転換していった。
(中略)
民間手工業者の作業場は、一般に店と呼ばれた。鉄器手工業の店は鉄店、陶磁器手工業の店は陶磁店といった。
販売のために製品を作る民間手工業は主に都市を中心に発達したが、次第に農村にも現われた。
(韓国の歴史 明石書店)
この教科書にある「店」は、まさに今の日本語の「店」と同じもの。
むかしの朝鮮でもこの言葉が使われていたことには、意外な感じがする。
でももともと「店」は中国語で、はるかむかしに韓国や日本に伝わった言葉なんだろう。
中国語で「コンビニ」は、「便利店」と書く。
これには「なるほど!」と、思った。
韓国の四天王像
・日本の伝統文化の育て方
国にお金がなくなって職人の給料を出せなくなったら、質の高い陶磁器をつくることなんてできるわけがない。
韓国人の記者が「世界的な名声を得る」とよんだ有田焼のような優れた陶磁器を生み出すことは不可能だったはず。
最高品質の焼き物をつくるためには、とんでもないほどのお金がかかる。
そのことは、次の「鍋島焼」を見ると分かる。
「鍋島焼」は日本国内向けに、幕府や大名などへの献上・贈答用の最高級品のみをもっぱら焼いていた藩窯である。鍋島藩の藩命を懸けた贈答品であるだけに、採算を度外視し、最高の職人の最高の作品しか出回っていない
(ウィキペディア)
朝鮮でも、白磁をつくる技術がただただ衰退(すいたい)していったわけではない。
厳しい状況のなかでも朝鮮白磁の伝統は生き続けていて、朝鮮時代の後期には「青華白磁」という作品をつくり出している。
青華白磁は白い素地に青色で絵を描きこんだもので、清雅な勧告的情緒を醸し出していた。これとともに、庶民は陶器を好んで使っていた。
(韓国の歴史 明石書店)
ただ残念なことにこの青華白磁は、「世界的な名声を得る」までにはいたらなかったようだ。
文化や芸術を育てるためには、じゅうぶんなお金をもつ「パトロン」の存在が必要。
鍋島焼の場合は、鍋島藩が職人の生活を丸がかえで守っていた。
日本唯一の磁器生産地であったこれらの窯には、鍋島藩が皿役所と呼ばれた役所を設置し、職人の保護、育成にあたった。生産された磁器は藩が専売制により全て買い取り、職人の生活は保障されていた
(ウィキペディア)
日本では最高の焼物をつくるために、藩も職人も一体になって取り組んでいた。
朝鮮時代の職人がこれを知ったら、すぐに店をたたんで日本にやってきただろう。
日本人側も「朝鮮人だから」という差別感情はなく、優れた腕があったら喜んで採用したと思う。
優れた伝統文化を生むためには、職人の高度な技術が必要になる。
でもそれだけではなくて、有力者がその職人を保護してその能力を存分にいかす環境を提供することも必要だったはず。
鍋島藩では職人のつくったものをすべて藩が買い取っていた。
だから、当然それだけのお金がないといけない。
口でこう言うのは簡単だけど、実際には鍋島藩も朝鮮のように財政難になったことがある。
このときは、「役人を5分の1に削減するなどで歳出を減らし(ウィキペディア)」という、かなり思い切った「役人切り」をしてピンチをしのいでいる。
こうして、「磁器・茶・石炭などの産業育成・交易に力を注ぐ藩財政改革を行い、財政は改善した」という、日本昔話のような理想的な展開になった。
朝鮮でも、思い切った「役人のリストラ」をして両班(朝鮮の支配者階級)の数を減らしていたら、財政難を乗り切れたのではないか?
単純すぎるかもしれないけど。
そうしたら、朝鮮の陶磁器産業は大きく発展していたかもしれない。
そうしていれば、21世紀の子孫から「先祖を恨めしく思ったりもした」なんて、恨み言を言われなくても済んだのに!
こちらもどうぞ。
日本という「アジアの光」② アジアの歴史教科書から見た日露戦争
ノーベル賞なんかにしてもそうだが、韓国人の視点はいつも「肝心なこと」が見落とされていたり、なんかズレている。
日本には「パトロンが存在したから」と書いてあるが、「なぜそういったものにパトロンが存在したのか?」という最も重要な部分が抜けている。それは「ごく簡単な理由」だ。
美術品や美しいものを愛する心や審美眼があったため、そういった職人や芸術家(芸術家という表現を使用することは少ないが、独自の世界を気づいてた作家は、私は芸術家と言っていいと思う)を大事にしたからだ。
作る側も、もちろんお金がなければ生活はできないが、そういった部分とは別に職人や芸術家としての魂があったからである。
ノーベル賞も然り。受賞した人はそれを目指してたから受賞したのではなく、研究の成果を評価されて受賞したのである。