「タイにいる外国人のなかで、もっとも民度が高いのは日本人だった!」
そんな記事を見たらどう思う?
レコードチャイナにそんな記事(2017-08-14)がある。
タイで暮らす外国人、民度ナンバーワンは日本人だ! ワーストワンは・・・=中国
タイにいる中国人から見て、「タイ在住の外国人で、民度が高いのはどこの国の人間か?」ということを評価したという内容。
中国メディアの北京時間がそれを伝えたという。
結論から言ってしまえば、記事のタイトルにあるように、もっとも民度の高い外国人に選ばれたのは日本人だった。
くり返しになるけど、これは中国人が評価したもの。
日本人の民度が高いと評価された理由は2つある。
朝から夜までよく働くという勤勉さ。
それと、お辞儀に代表される礼儀正しさ。
日本人の次に民度の高い外国人に選ばれたのは韓国人だった。
その理由は記事を読んでほしい。
そして、中国人が選んだ「もっとも民度の低い外国人」は中国人だった。
中国とタイは地理的にも近いため、中国人も大勢住んでいるが、この中国人は「もっとも信用できないのは中国人」だとし、タイにいる外国人のうち、民度のワーストワンは中国人としている。日本でも中国人旅行客を騙すのは中国人だという指摘が見られるが、タイでも同じようなことが起きているのかもしれない。
日本のメディアなら、外国人を「民度の高い・低い」でランク分けして記事にするとは思えない。
中国メディアは考え方が違うのだろう。
中国人は遠慮しないでズバズバ言う人が多い。
ストレスをためこまなくてうらやましい、と思うことがある。
以下、中国人目線で民度の高い・低いという表現を使っていく。
「タイにいる外国人のなかで、もっとも民度が高いのは日本人だった!」という記事を読んで、どう思っただろう?
「『日本人すごい!』ってのは、気持ち悪い」という人は、記事のタイトルを見ただけで中身は読まないはず。
そう評価されて、ちょっとうれしかったり誇らしく感じたりした人が多いと思う。
でも、「日本人の民度はナンバーワン」という情報を知っただけではあまり意味がない。
この情報を活かすことで初めて価値が出てくる。
その情報を知って少しでも意識が変わったら、それは情報を活かすことができたということ。
まったく変化がなかったら、知らなくても同じだったことになる。
そんな情報に価値はない。
「日本人の民度はナンバーワンだ」と中国人が評価したというこの記事の場合、その理由を自分なりに考えてみるのもいい。
中国人からしたら、日本人の勤勉さや礼儀正しさが民度の高い理由だった。
これはボクも日本人の長所だと思う。
でも長所は見方を変えたら、短所にもなるけど。
この中国人の意見に賛成でも反対でもどちらでもいいから、これを参考に自分の頭で考えることが大事。
それだけで、筋トレのような脳トレになる。
どんな結論になるかは別として、脳を使うことに意味がある。
「自分の頭で考えた」というだけでも、その記事を読んだ価値はある。
先ほどの記事を読んだ一人一人が日本人の良さについて改めて考え、生活に活かすことで、これからも「民度ナンバーワン」を保つことができると思う。
中国人から見た日本人の良さを知るだけではなくて、それを自分に活かすように考えたほうがいい。
「日本人の民度が高い」と中国人が言ったとしても、それは日本人が生まれつき民度が高い民族であるということではない。
日本の教育や日本の社会で必要とされる価値観やマナーを身につけることで、そうした’民度’がつくられるはず。
日本人が中国で生まれ育てば中国人と同じような’民度’になるだろうし、中国人が日本で生まれ育ったら日本人と同じような’民度’になるはず。
民度なんてものは「生まれつき高い・低い」という人間の違いではなくて、教育・社会・政治制度などから生まれるものだ。
「~人はもともと~だ」という発想はマズイ。
そう考えると、人種や民族の優劣が出てきてしまいかねない。
その先に待っているのは、人種差別的な考え方だろう。
「日本人はもっとも民度が高い」というのは一つの視点からの評価で、別の視点から見たら別の結果になるはず。
この記事に限らず、「日本人は~がすごい!」とか「~にすぐれている」ということを知って、精神的に満たされているだけではあまり意味はない。
情報を知ったら、それを参考にして自分の頭で考えたほうがいい。
たとえば、「日本人の職人作業はすごい!」と外国人が評価したのを聞いて、それで誇らしい気持ちになって終わってはもったいない。
それをきっかけに、何かしら考えたほうがいい。
これからも外国人が「日本の職人はすばらしい!」と評価するだろうか?
今の日本を見ると、その可能性は少なくなっていると思う。
職人の質や意欲が下がっているように感じるから。
今はふつうの日本人が職人を支えていない。
多くの日本人がなるべく物を安く買おうとするために、時間と手間が値段に反映した職人の作品がなかなか売れない。
「職人が物をつくっても売れなくなったから、百貨店に出むいて実演販売するようになった」という話を、職人から聞いたことがある。
全国の百貨店に車で移動したり作品を展示したりする時間があったら、本当は作品つくりに打ち込みたい、とも話していた。
でも工房にこもっていたら、作品が売れなくて生活ができないのだという。
外国人の「日本の職人はすばらしい!」という言葉をきっかけにして、職人の現状を調べてみてもいい。
情報は耳で聞くだけではなくて、活かすことで価値が出てくる。
日本の職人や伝統文化を支えているのは日本人ではなくて、中国人だったりする。
「日本人の~がすごい!」という外国人の評価は、あくまで現時点でのもの。
これからも、そう評価され続けるかはわからない。
外国人にほめられて、満ち足りた気分になっているだけでは未来はない。
その情報を知ったら、自分なりに賛成・反対、その理由や背景などを考えてみよう。
そうしたら、それをこれから活かすことができる。
「日本人はすごい系」の情報に、自分の脳を使うことなくただ接しているというのは、シャワーを浴びているのと同じ。
その一瞬は気持ちいいけど、結局後には何も残らない。
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