個人的に、ミャンマーのアウンサンスーチーを尊敬している。
思い入れもある。
それは、アウンサンスーチー氏が浜松市の浜名湖に来たことがあるから。
そしてこう言ってくれたのだ。
「やっぱりウナギは浜名湖産ね!中国産とは肉の厚みがちがう」
というのはウソ。
そもそもミャンマー人はウナギを食べるのかも知らない。
日系ペルー人で「あれはヘビ。絶対に食べない!」と言う人もいるらしいから。
でも、アウンサンスーチー氏が浜名湖に来たのは本当。
父親のアウンサン将軍が浜松に住んでいたから。
それで「ビルマゆかりの碑」がある。
そんなことで、勝手に親近感を感じている。
これまで、ミャンマーには5、6回行ったことがある。
それはヤンゴンで開かれた国際会議に出席するためで・・、
というカッコいい理由をいつか言ってみたいと思っている。
今のところ、ミャンマーには旅行で行ったことがあるだけ。
初めてボクがミャンマーに行ったとき、アウンサンスーチー氏は軟禁状態に置かれていた。
「彼女は今、自宅から一歩も外に出ることができないのです」とミャンマー人から聞いたのを覚えている。
そんなツライときでも、スーチー氏はミャンマーの民主化をあきらめず、粘り強く運動を続けていた。
ミャンマーの人たちも、家や店の壁の高いところにアウンサンスーチー氏の写真をかかげて、民主化を待ち望んでいた。
それが上の写真。
右にいるのがアウンサン将軍。
元浜松市民。
ミャンマー人からいろいろと話を聞いて、その人たちのスーチー氏への思いを知っていたから、ボクもアウンサンスーチー氏に思い入れがあった。
ミャンマーの首長族
アウンサンスーチー氏がノーベル平和賞を受賞したのは1991年のとき。
アジアの女性がノーベル平和賞を受賞したのはこれが初めて。
そして日本人以外で、ノーベル賞の受賞者が浜名湖に来たのもスーチー氏がきっと初めて。
受賞理由は、民主主義と人権回復のための非暴力闘争をおこなったから。
ノーベル賞の公式サイトにそのことが書いてある。
The Nobel Peace Prize 1991 was awarded to Aung San Suu Kyi “for her non-violent struggle for democracy and human rights”.
ここに「非暴力闘争(non-violent struggle)」と書いてある。
これはアウンサンスーチー氏が、ガンディーの「非暴力・不服従運動(サティヤーグラハ)」の影響を受けていたことを裏づけている。
これは大事なことだから、別の機会に1つの記事で書くつもり。
センテンススプリング!
それはどうでもいい。
重要なことは、今アウンサンスーチー氏がおかれている状況だ。
アウンサンスーチー(ウィキペディアから)
国際社会は今彼女に対して、とても厳しい目を向けている。
「ロヒンギャ問題に対して、アウンサンスーチー氏は何もしていない」と批判する人がともて多い。
それで今、「彼女はノーベル平和賞に値しない」と賞の取り消しを求める動きが世界中で広がっている。
「アウンサンスーチーこそこの賞にふさわしい!」なんて思っていたボクにとって、この流れは残念でならない。
これもまた、1つの記事で書くつもりです。
一応、AFPの記事(9月7日)をのせておきます。
ミャンマー政府によるイスラム系少数民族ロヒンギャ(Rohingya)への対応をめぐり、同国の事実上の指導者であるアウン・サン・スー・チー(Aung San Suu Kyi)国家顧問に授与されたノーベル平和賞(Nobel Peace Prize)を取り消すよう求める請願運動がネット上で行われ、これまでのところ36万を超える署名が寄せられている。
こちらの記事もどうですか?
日本人だから知ってほしい。ロヒンギャ問題とは?群馬には200人。
日本人だから知ってほしい。ロヒンギャ問題とは?群馬には200人。
「民族浄化」のロヒンギャ問題①沈黙のスーチー氏にローマ法王も圧力。
コメントを残す