日本=ケンシロウ説⑤ 日本人が幕末に感じた植民地化の危機感

 

はじめの一言

「驚くべき国である!文化や暮らしのあらゆる分野で、日本はわれわれとはまったく異なる成果を実現した国だ。『君たちの解決法とはまるっきり別の解決法が可能だったのだ。これがそうだ。すでに二千年以上の歴史がある!』と告げているかのようである。(ロベール・ギラン 昭和)」

「日本絶賛語録 小学館」

 

今回の内容

・「日本=ケンシロウ」説
・幕末の日本人が感じた「危機」
・幕末、明治にも発揮された「学習能力の高さ」

 

・「日本=ケンシロウ」説

北斗の拳のケンシロウの強さは、「学習能力」にある。

自分より強い人間と戦うという経験をくり返すことで、自分も強くなるという「学習能力」の高さがその強さの理由。

そんな北斗神拳の奥義には「水影心(すいえいしん)」というものがある。
これは、一度戦った相手の技を身につけて自分のものにするというもの。
これも、優れた学習能力をあらわしている。
日本の「強さ」の理由も、このケンシロウの強さの理由と同じ。
「相手の良さを身につけて、自分のものにする恐るべき学習能力」

 

よって、ここに「日本=ケンシロウ説」が成立する。
たぶんね。

歴史上、日本の学習能力の高さをしめしたことは2つある。

1つ目は、奈良・平安時代に、中国に学んで国を発展させ、律令国家にしたこと。
2つ目は、明治時代は、西洋に学んで富国強兵を成功させ、近代国家(立憲国家)にしたこと。

 

・幕末の日本人が感じた「危機」

奈良・平安時代、日本は唐(中国)に学んで、京都をつくったり日本を律令国家にしたりした。
前回、そのことを書いた。

これが、「水影心(相手の良さを身につける恐るべき学習能力)」を発揮した最初の例。

 

2番目は、明治の近代化のとき。

このときは、日本を取りまく国際環境は平安時代とはまったくちがう。
西洋の列強が、アフリカ・中東・東南アジアなどを次々と植民地にしながら、日本にせまって来た。

インドや中国といった大国でさえも、ヨーロッパには対抗できなかった。

19世紀半ば、中国での太平天国の乱やインド大反乱など西洋支配への抵抗運動が敗北したことは、アジアの各地の人びとに大きな危機感をいだかせた

(世界史用語集 山川出版)

 

特に、中国(清)がアヘン戦争でイギリスに敗れたということは、日本に大きな衝撃を与えている。

これを受けて、幕府はそれまでの方針を変えている。

「日本に近づいた外国船は、とにかく、砲撃して追い払ってしまえ!!」という異国船打払い令から、「漂着した船なら、薪(まき)や水くらいはあげようか」という薪水給与令へと変えている。

東アジア世界の激動を告げるアヘン戦争(1840~42)についての情報は、オランダ船・清国船によりいちはやく日本に伝えられ、幕府に強い衝撃を与えた。

1842年(天保13年)にオランダ船が、アヘン戦争終結後にイギリスが通商要求のため軍艦を派遣する計画があるという情報をもたらすと、幕府は異国船打払い令を緩和して薪水給与令を出し、漂着した外国船には薪水・食糧を与えることにした。

これは、打払い令により外国と戦争になる危険を避けるためであった。

(詳細 日本史研究 山川出版)

 

19世紀後半、日本が近代化に失敗したら、日本が外国の植民地になる危険性があった。
幕末の日本人の危機感を司馬遼太郎は、こう言っている。

日本がヨーロッパに征服されて植民地にされるかもしれないという、この時代の共通した危機意識があった

(「明治」という国家 司馬遼太郎)

 

その危機感は福沢諭吉の言葉からもうかがえる。

自分は何とかして禍いを避けるとしても、行く末の永い子供は可愛そうだ、一命に掛けても外国人の奴隷にはしたくない
(福翁自伝 福沢諭吉)

 

福沢諭吉は、日本が植民地になることを、「日本人が外国人の奴隷になる」と考えていた。これは、幕末・明治の日本人が共有していた危機感だったはず。
「それだけはさせてはいけない」と、福沢諭吉は明治の近代化に情熱をかけた。

 

日本が西洋の植民地支配をまぬがれるには、国を発展させて近代化するしかない。

奈良・平安時代は中国に学んだように、幕末・明治時代は西洋から学んだ。
でも、同じ「外国に学ぶ」にしても、平安時代とは難易度が違う。

 

 

・幕末・明治にも発揮された「学習能力の高さ」

「ヨーロッパに学ぶ」といっても、ヨーロッパには、ドイツ・イギリス・フランスなどたくさんの国がある。
それぞれの国には特色があり、「強み」も違う。

 

だから、「どこの国から何を学ぶのか?」ということを決めなくてはいけない。
唐から学んだときは、学ぶ対象は中国の1国だけだったから、こんな複雑なことを考える必要はなかった。
唐からすべてを学べばよかった。

明治の近代化では、そういかなかった。
ヨーロッパの複数の国から、それぞれの優れた点を学ばないといけない。
これは、相当に難しい。

例えば、職場で尊敬する1人をターゲットにして、その人からすべてを学ぶことはそう難しくはない。
それより、10人の人間をターゲットにして、それぞれの良さを見抜いて「この人からはこれを学ぶ。あの人からはあれを学ぼう」と決めて学ぶとなると、これはかなり難しい。

 

結果的に、明治の日本はそれができた。
日本は、ヨーロッパからいろいろなことを学んで日本に取り入れ、議会と憲法をもった近代国家になることができた。
中学校のときに習ったと思うけど、日本はアジアでは初となる近代国家になっている。

そして、アフリカ・中東・東南アジアの国が植民地になるなか、独立を守り続けていた。

 

古代には唐に学んで律令国家になり、明治時代にはヨーロッパに学んで近代国家になった。

この理由は、1つ。
日本人には、ケンシロウと同じ「水影心」のような「相手の良さを身につける恐るべき学習能力」があったから。

次回、その具体的な内容を書きます。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。