中学生や高校生のとき、こんな経験をしたことはありませんか?
テストを受けて、かなりの手ごたえを感じた。
「100点はムリでも、90点はいったな」という確信がある。
そうなると、テストの結果がわかるまで、精神状態はおだやかではなくなる。
イヤでも期待は高まってしまう。
結果が期待に応じたものならいい。
でも、期待が高かかったぶんだけ、低い点数だったときのショックは大きい。
山が高ければ谷は深くなる。
それで、「今度はいけるぞ!」と期待が高まってくると、「いやいや、まだわからないから」とそれをおさえる心理がはたらく。
こんなことをくり返すから、心が落ち着かずソワソワしてしまう。
で、テストが戻って来ると、まさかの60点。
期待と現実のあまりの落差にガッカリしてしまう。
こんなことはだれでも経験があると思う。
韓国はそんなことを国全体でやっている。
毎年、ノーベル賞のシーズンに。
「今年こそ、韓国人のノーベル賞受賞なるか!?」
そんなことを、韓国人みんなが期待して待っている。
でも、いつも受賞者は外国人ばかり。
韓国人は0。
それで国民総ガッカリ。
そんなふうに、「まだかまだか」とノーベル賞を熱望する韓国人に対して、中央日報はこんな批判的な記事(2016年02月01日)をのせていた。
「自分は韓国文学の本を読まないのに、韓国人作家がノーベル文学賞をとることを期待するのはおかしくないか?」
申京淑(シン・ギョンスク)氏の『ママをお願い』を海外に輸出した文学エージェント、ジョセフ・リー(イ・グヨン)氏は「韓国人は韓国文学にもっと関心を見せなければいけない。本を読まないのにノーベル賞を望む」と皮肉った。
さらにその8カ月後の10月には、「韓国人はノーベル賞をとらない方がいい」とまで書く。
中央日報のコラム(2016年10月12日)から。
韓国の科学者1人がノーベル賞を受賞したからといって科学強国にならないのも当然のことだ。基礎体力が不足した状態で1つや2つの分野のノーベル賞は後に別の負担をもたらすこともある。ノーベル賞は当分忘れるのがよいだろう。いや受けてはいけない。まずは「能率と実質」の気風がもっと重要ではないだろうか。
韓国は、大学進学率が70%をこえる世界有数の教育大国だ。
でも、大学生と大学教授があまりにもたくさんいることで問題も生まれた。
韓国がかかえる教育問題の具体的な内容は、上の記事を読んでください。
たしかに、1人のノーベル賞受賞者を出すよりも、韓国の学問全体のレベルを上げたほうがいいと思う。
「ノーベル文学賞を熱望するより、一人一人の国民がもっと本を読むべきだ」という先ほどのコラムと重なる。
これは日本にも当てはまりますね。
1人の日本人ノーベル文学賞受賞者を出すよりも、日本の国民一人一人が日本文学を読んだほうがいい。
そういう見方もあると思う。
2016年には「ノーベル賞は受けない方がよい」と書いていた。
なのに2017年になると、新聞紙面にはこんな記事が登場する。
中央日報(2017年10月04日)から。
2017年ノーベル化学賞候補に成均館(ソンギュングァン)大学化学工学・高分子工学部の朴南圭(パク・ナムギュ)教授の名前が上がり、故金大中(キム・デジュン)大統領(平和賞)に続く2人目となる韓国人ノーベル賞受賞者の登場に関心が集まっている。
もうこれは結果が出ている。
残念ながら韓国人からの受賞者は出なかった。
そして次の日、5日にはこんな記事が出る。
高銀氏は当初10番人気だったが、ノーベル文学賞受賞者発表日が決定した2日に順位が上がった。順位の上昇を受け、韓国メディアも高銀氏のノーベル文学賞受賞に期待を表している。
この高銀(コ・ウン)という人は有名な韓国の詩人。
毎年この時期になると、「今年こそ、高銀氏のノーベル文学賞受賞なるか!?」と国民から期待される。
ある意味、とても気の毒な人。
このノーベル文学賞もすでにわかっている。
日系イギリス人作家のカズオ・イシグロさんが選ばれた。
「よりによって日本出身の人だった」ということもあって、韓国のガッカリ感はいつも以上。
それにしても韓国はおもしろい。
「ノーベル賞はとらない方がいい」と国民に呼びかけた新聞が、1年後には「韓国人から受賞者は出るか」「韓国詩人のノーベル文学賞受賞に期待感」と平気で書く。
「3歩歩くとすぐ忘れる」みたいな。
韓国のこんなところは憎めない。
そんな韓国の「ノーベル賞劇場」に、日本のネットの反応は?
・ではまた来年お会いいたしましょう、さようなら!
・毎年同じ事言ってないか?
・日本人の受賞者も0でした^^
・どこかのワインみたいに毎年期待が高まってるよな。
・台座は用意してる
・まだノーベル平和賞とノーベル経済学賞が残っているから諦めるなよ
・なんかコウンさん気の毒だな、毎年韓国メディアに持ち上げられて
「2(5)ちゃん」で韓国ネタというと、基本的に差別と憎悪のワンダーランドになってしまう。
でも、ノーベル賞の話題となるとちょっとちがう。
毎年毎年、国民から期待されるコウン氏に同情したり、韓国に割と親しみを感じたりするようなコメントが多くなる。
今、日本と韓国の関係が悪化している。
けれど、このときは一瞬だけ、温かい雰囲気が生まれる。
これはとても貴重だ。
その意味でもやっぱり、韓国人はノーベル賞をとらないほうがいいかもしれない。
こちらもどうですか?
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