日本人「外国人は汚れている!」② イギリス王子にお祓い・神風連の乱

 

はじめの一言

「日本ではすべて二重なのだ。和洋二通りの暮らし方・旅館とホテル・日本料理と西洋料理・和式洋式の建築・和装と洋装・日本画と西洋画・邦楽と洋学・日本演劇と西洋演劇・横書きと縦書き・西洋劇と時代劇などなど。しかもそのどれもがわれわれ西欧人を喜ばすためでも観光客目当てでもなく、日本人自身のためなのだ。二か国語を公用語とする国さながら、日本はまさに『二重文明』の国である。
(ロベール・ギラン 昭和初期)」

「ニッポン 講談社学術文庫」

 

今回の内容

・イギリスの皇太子にお祓(はらい)い
・神風連の乱
・理想の社会

 

・イギリス人皇太子にお祓(はら)い

前回、イスラーム教徒には「外国人(異教徒)は汚(けが)れている」と考えている人たちがいると書いた。

でも、「外国人を穢(けが)れ」とする考え方は幕末・明治の日本にもあった。
これは神道の考え方に由来するのだろう。

幕末には、「外国人が日本にいたら、日本が穢れてしまう!」と思って外国人を襲(おそ)っては殺害していたサムライがたくさんいた。
言ってみたら、「サムライ・テロリスト」とでも言うべき人たち。

 

 

明治時代になると、さすがに「サムライ・テロリスト」のような日本人はいなくなる。

でも、「外国人は穢れている」と考えていた人たちはいた。

そのため、日本政府がイギリスの皇太子が皇居に入ることを問題視してしまう。

「日本でもっとも神聖な場所のひとつ」と考えられていた東京城(皇居)に、外国人が入る。

「これによって東京城(皇居)が穢れてしまう」と心配した人が政府にいた。
今から見れば、イギリス人の皇太子ですら「穢れ」とみていたことに驚いてしまう。

そこで決まったのが、イギリスの皇太子に「潔身(みそぎ)の祓(はらい)」をしてから東京城に入れるというもの。

そのことについて福沢諭吉がこんな感想を書いている。

イギリスの王子が日本に来遊、東京城に参内することになり、表面は外国の貴賓を接待することであるから固より故障はなけれども、何分にも汚れた外国人を皇城に入れるというのはドウも不本意だというような説が政府部内に行われたものと見えて、王子入城の時に二重橋の上で潔身の祓をして内に入れたことがある

(福翁自伝 岩波文庫)

 

日本政府はイギリスの皇太子におはらいをした。
これを知ったアメリカ人の公使がおもしろがって、「日本人はこんなことしてまっせ」と、大統領への報告書に書いてしまった。

それを知った福沢諭吉はこうなげく。

実に苦々しいことで、私はこれを聞いて、笑いどころではない、泣きたく思いました。

(福翁自伝 岩波文庫)

こんな感じの「潔身の祓」をイギリスの皇太子にしたのだろう。

 

・「神風連の乱」

それでもまあ、平成の今から見たらこれは笑いごとですむ。
でも、次の「神風連の乱」はそんなレベルではない。

現在でいう「イスラーム過激派」は、明治でいう「攘夷(じょうい)派」と呼ばれた人びとに近い。
明治になっても、「外国人が神聖なる日本の国土を穢す」と考えていた過激な攘夷派の日本人はいた。
彼らは日本社会の「西洋化」をとても嫌う。

 

今では当たり前の電線が日本にあらわれたのは、この時代になる。
攘夷派はそれを西洋化の象徴であるとし、電信でさえも「汚れている」と考えた。
だから彼らが電線の下を通るときには、扇子(せんす)を頭にかざしていたという。

次に出てくる「神州」とは日本のこと。

攘夷派の人間などは、いやしくも神州の空にキリシタンの針金を張るなどもってのほか、というのでその下を通るときには「汚らわし」と扇子をかざして歩いたり

「うたでつづる 明治の時代世相 図書館刊行会」

 

神道を熱心に信じる「神風連(しんぷうれん)」と呼ばれる人たちも、こうしたことをしていた。

 

ダッカでテロを起こした人間も神風連の人間も、「信仰があつい」という共通点がある。
信仰があついというより、「身勝手な信仰をしている」といった方がいいかもしれない。
「外国人によって、イスラーム教が汚される」という考えは、「外国人によって日本が汚される」という考えと重なる。
一般的には受け入れらない考えだ。

 

でも神風連はテロリストとはちがって、外国人を襲うことはなかった。

彼らは、日本の社会が江戸時代の日本からはなれていって西洋化していくことを嫌っていた。
そしてそれをおし進める明治政府に敵意をもつようになる。

彼等の目には、明治新政府の急激な欧米の文化と政策が、2000年来続く国風を変化させるのは、わが国滅亡につながると映っていたのでしょう。

神風連資料館・桜山神社 熊本市

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1876年にそんな士族の彼らが廃刀令発布に激怒し挙兵して、熊本鎮台を襲撃するも結局は鎮圧される。
これを「神風連の乱」という。
廃刀令をはじめとして、武士の名誉を奪う明治政府に不満を持っていた士族は多くいた。
そんな怒れる士族による初めての「神風連の乱」で、秋月の乱や萩の乱が発生し、ついに西郷隆盛の西南戦争へとつながっていく。

 

・多様性認める社会がいいなあ

明治時代には「外国人は穢れている」と考えていた日本人もいた。

けれどこの記事の「始めの一言」で紹介したように、昭和初期には日本人は西洋のいろいろなものを受け入れて日本は「二重文明」となっている。

今、世界中でテロが大きな問題になっている。
上の「ロベール・ギラン」がいったような、異なる考え方や価値観のちがいを受け入れる「二重文明の国」になるというのは一つの理想だと思う。

和洋二通りの暮らし方・旅館とホテル・日本料理と西洋料理・和式洋式の建築・和装と洋装(中略)そのどれもがわれわれ西欧人を喜ばすためでも観光客目当てでもなく、日本人自身のためなのだ。二か国語を公用語とする国さながら、日本はまさに『二重文明』の国である

 

これは個人的な理想論。

日本だけではなくて、世界の国々がいろいろな文明を受け入れて、三重、四重の文明の国になったらいいのになあ、と思っている。
多様性を受け入れられる国だったら、安全に楽しく海外旅行ができるはず。

 

*ちなみに現在では、「賊」とされていた神風連の人たちの名誉は回復されている。
くわしいことは熊本県の「神風連資料館・桜山神社」で。

 

 

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今まで、東南アジア・中東・西アフリカなど約30の国と地域に旅をしてきました。それと歴史を教えていた経験をいかして、読者のみなさんに役立つ情報をお届けしたいと思っています。 また外国人の友人が多いので、彼らの視点から見た日本も紹介します。