近ごろ、韓国で「グローバル人材フォーラム2017」が開かれた。
これはかなり重要なイベントらしく、韓国の政財界と学界の主要人物など3000人が参加している。
文在寅大統領もお祝いのメッセージを送っている。
このイベントの中で、韓国のお偉いさんたちがこんな話をした。
中央日報(2017年11月02日)から。
朴容晩会長は「韓国は個人能力は優れているのに組織的に人を育てるシステムが弱い。人材フォーラムでその方策を探そうと思う」と話した。徐会長は「韓国が輸出する最高の商品がまさに韓国人。若者の能力に疑問はないので彼らをどのように導いて最高の人材に育てるかが主要関心事だ」と話した。
韓国には、「個人の能力は優れているけれど、上にいる人間がその良さを引き出せていない」という課題がある。
だからこれからの韓国では、科学技術を発展させるだけではなく、韓国人という人材を「最高の人材」に育て上げることが大事になるらしい。
その考え方はいいと思う。
それとは別に、こう言い切るところが韓国人らしい。
「韓国は個人能力は優れている」
「韓国が輸出する最高の商品がまさに韓国人」
「若者の能力に疑問はない」
韓国人は前向きでポジティブで、何より怖いもの知らずだと思う。
「個人の能力を引き出すことが大事」というのは今の日本も同じ。
でも、日本人だったら、もうちょっと控えめな言い方をすると思う。
「人材を人財に変える必要がある」ぐらいな。
「日本は個人能力は優れている」
「日本が輸出する最高の商品がまさに日本人」
「若者の能力に疑問はない」
日本でこんな言葉を聞いた記憶がない。
先ほどの朴(パク)会長と同じようなことを言った人物を思い出した。
それは、19世紀に朝鮮を旅行したイギリス人の女性旅行家イザベラ・バードさん。
イザベラ・バード
最初の朝鮮訪問は1894年(明治27年)。以降3年のうちに、バードは4度にわたり朝鮮各地を旅し、『朝鮮紀行』を記した。
『朝鮮紀行』は、国際情勢に翻弄される李氏朝鮮の不穏な政情、伝統的封建的伝統、文化など、バードがじかに見聞きした朝鮮の情勢を伝える。
「ウィキペディア」
イザベラ・バードは朝鮮を旅行していろいろなことを見聞きし、「一般の人は良いのだけど、支配する上の人間がダメだ」といったことを書いている。
まず「人」についてこう言う。
国民のエネルギーは眠ったままである。上流階級は愚かきわまりない社会的義務にしばられ、無為に人生を送っている。中流階級には出世の道が開かれていない。エネルギーをふり向けられる特殊技能がまったくないのである。
「朝鮮紀行〜英国婦人の見た李朝末期 (講談社学術文庫) 」
朝鮮の農民はまちがいなく日本の農民に負けず劣らず勤勉でしあわせになれるはずなのである。
朝鮮人には、エネルギーも能力もある。
でも、支配階級にいる両班(ヤンパン)という官僚が、こうした朝鮮人の能力を活かすことができていない。
イザベラ・バードの目から見ると、両班(ヤンバン)とはこんな人たちだった。
朝鮮の災いのもとのひとつにこの両班つまり貴族という特権階級の存在がある。
両班は自分でなにも持たない。自分のキセルすらである。両班の学生は書斎から学校へ行くのに自分の本すら持たない。
伝統上、両班に求められるのは究極の無能さ加減である。
「究極の無能さ」というのはヒドイ言葉だけど、そんな人間が上にいるのであれば、たしかに「朝鮮の災い」でしかない。
支配する両班とされる側の朝鮮の民衆を、バードは「盗む側と盗まれる側」に例えている。
そして、人々から税を取り立てることしか頭にない両班を「公認の吸血鬼」と呼ぶ。
「韓国は個人能力は優れているのに、上にいる人間がその良さを引き出せていない」
この課題は、19世紀の朝鮮も21世紀の韓国も変わっていない。
でも今の韓国では、指導者は「盗む側」ではなくて「才能を引き出す側」に立っている。
これからの韓国は、きっとおそろしい国になる。
とりあえず、早くノーベル賞が取れるといいですね。
今の韓国の主要関心事はこれだという。
「優れた個人能力がある韓国人を最高の人材に育てる」
これと似た言葉をどこかで見た気がするなあ、と思ったら、思い出した。
韓国の名門大学「梨花女子大学校」のホームページに書いてある言葉だ。
「韓国人をもっとすばらしい韓国人にしたい」
「もっと」ということは、韓国人は「すでにすばらしい」ということのはず。
このポジティブな考え方も、1886年から変わらず続いている。
梨花女子大学校
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