いろんな国に旅行をしていると、こんな疑問を感じることがある。
「日本人は歴史上の人物を、あんまり英雄視しないよね?」
まえにも書いたことがあるのだけど、海外では、その国で「英雄」とされる人物の名前を空港の名称にすることがよくある。
アメリカには「ジョン・F・ケネディ国際空港」
フランスには「シャルル・ド・ゴール空港」
イギリスには「リバプール・ジョン・レノン空港」
モンゴルには「チンギスハーン国際空港」
インドには「ネータージー・スバース・チャンドラ・ボース国際空港」がある。
このへんに興味がある人は人名空港を見てください。
外国では有名人の名前を道や駅の名称にすることがよくあるけれど、日本ではあまりこれがない。
高知には「龍馬空港」があるけれど、これは国際空港ではない。
鉄道駅なら、岡山県に「宮本武蔵駅」や「吉備真備駅」がある。
でも、これは例外中の例外。
日本では、公共施設に人名をつけることが本当に少ない。
海外に比べれば、日本は個人を英雄視する傾向がうすい。
ちなみに吉備真備(695~775)は奈良時代の学者。
唐に留学、諸学を学ぶ。帰朝後、橘諸兄(たちばなのもろえ)のもとで活躍。藤原仲麻呂に疎まれ筑前守に左遷。その後、再び渡唐。仲麻呂没落後、中央に帰り右大臣となる。律令の刪定(さんてい)などに尽力。
デジタル大辞泉の解説
宮本武蔵駅については、美作市の観光情報サイトを見てほしい。
なぜか駅にハート形の窓がある。
最近ドイツであることが話題になった。
話題になったというより、「おまえら、それをマジで言ってんのか?」と批判をあびる出来事があった。
ドイツ鉄道が新しい特急列車に名前をつけようと考えた。
それで「どんな名前がいいですか?」と、利用客などから名称を募集する。
日本とちがって、ドイツでは歴史上の人物の名前を特急列車の名称にすることがあるらしい。
昨年の10月に、ドイツ鉄道は人物名25人のリストを発表した。
アインシュタインやベートーベンといったドイツの有名人はいいとして、問題は「アンネ・フランク」だ。
ユダヤ人だったアンネ・フランクはナチス=ドイツによって強制収容所に送られ、そこで15歳の若さで亡くなっている。
ドイツには「ユダヤ人虐殺(ホロコースト)」という暗い過去がある。
そのドイツが特急列車を「アンネ・フランク号」にしようとしたことから、「あまりに無神経だ」と批判があがった。
朝日新聞の記事(2018年3月3日)では、アンネ・フランク財団がこう言っている。
「アンネと鉄道を関係づけることは、ユダヤ人への迫害と抑留を思い起こさせ、抑留の経験者を苦しめる」などと反発。事実上、候補から外すように求めた。
独鉄道新特急は地名採用 「アンネ・フランク号」に批判
アンネはナチス=ドイツに殺されたのだから、これはあたり前。
ドイツ鉄道は「特急列車にアンネ・フランクはマズイ」と、なんで思わなかったのか?
ナチス=ドイツによるホロコーストによって、600万人ものユダヤ人が殺されたという。
ホロコースト
600万人が殺されたと言われる、ナチス=ドイツによるユダヤ人虐殺のこと。この用語は「旧約聖書」に由来する。ユダヤ人絶滅を目指し、アウシュビッツなど各地の収容所で計画的に虐殺がおこなわれた
「世界史用語集 (山川出版)」
ホロコーストとは、ある特定の民族の絶滅を目的にした計画的な虐殺で、ただ多くの人を殺害する「虐殺(massacre:マスカー)」とは違う。
では、なんでナチス=ドイツはこんなことをしようと考えたのか?
ホロコーストの最高責任者の1人、「アイヒマン」という人物はこんなことを言っている。
ユダヤ人は、ドイツ国民の永遠の敵であり、殲滅(せんめつ)し尽くさねばならない。
われわれに手のとどくかぎりのユダヤ人はすべて、現在のこの戦争中に、一人の例外もなしに抹殺されねばならない。
今、われわれが、ユダヤ民族の生物学的基礎を破壊するのに成功しなければ、いつかユダヤ人がわがドイツ国民を抹殺するであろう
「アウシュヴィッツ収容所 (講談社学術文庫)」
ヒトラーの考えもこれと同じ。
ユダヤ人を絶滅させるために、ナチス=ドイツは強制収容所をつくった。
アウシュヴィッツ強制収容所(ウィキペディア)
アウシュヴィッツ強制収容所
1940年にナチスの強制収容所が建てられた。ユダヤ人絶滅政策の中心となり、150万人以上が虐殺されたと言われている。79年、『負の世界遺産』に認定された。
「世界史用語集 (山川出版)」
連合軍が到着したときの収容所の様子
ユダヤ人の死体が放置されていた。
毒ガスで殺害されたユダヤ人
皮肉なことに、毒ガスを開発したのはフリッツ・ハーバーというユダヤ人だった。
死体はここで焼却されていた。
上の画像は「NHK 映像の世紀 第5集」から。
アンネ・フランク(ウィキペディアから)
ナチスに捕まるまで、中学生だったアンネは日記をつけていた。
たとえば、1944年4月11日にはこんなことを書いている。
自分が何をもとめているかも知っていますし、目標も、自分なりの意見も、信仰も、愛も持っています。わたしがわたしとして生きることを許してほしい。そうすれば満足して生きられます。わたしには自分がひとりの女性だとわかっています。
しんの強さとあふれるほどの勇気とを持った、一個のおとなの女性だと。もしも、神様の思し召しで生きることが許されるなら、わたしはおかあさんよりりっぱな生きかたをしてみせます。つまらない人間で一生を終わりはしません。きっと世のなかのため、人類のために働いてみせます
「アンネの日記 完全版 (文春文庫)」
これを書いた次の年、アンネはベルゲン・ベルゼン強制収容所に送られて、そこで病気にかかって亡くなった。
アンネは収容所に列車で運ばれている。
なのになんでドイツ鉄道は、特急列車を「アンネ・フランク号」にしようとしたのか?
批判を受けたドイツ鉄道はこれを撤回。
公共のものに人名をつけるのは、やっぱりむずかしいですね。
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