国によって価値観や考え方はちがうから、国が変われば「正しい」が変わってもあたり前。
たとえば最近、ニューギニアの大使はこんな姿で国連の会議に参加し物議をかもした。
スーツだけが正装ではなくて、これがニューギニアの正装なら仕方ない。
にしても、この大使はホテルから国連の建物までこの姿で来たのだろうか?
日本だったら警察官に職務質問されることは必至。
世界には国の数だけ価値観や考え方がある。
歴史の見方も国によってちがうのはあたり前。
だから同じ歴史上の人物でも、国が変われば評価も変わる。
ときには、見方が正反対になる人物もいる。
今回と次回で、そんな歴史上の有名人を3人紹介しようと思う。
ポルトガル人のマゼラン、イタリア人のコロンブス、韓国人の安重根の3人を。
ではここでクイズです。
人類で初めて世界一周を成しとげた人はだれでしょう?
答はポルトガル人のマゼラン。
・・・ではなくて、彼の部下たち。
マゼランはスペイン国王の命令をうけて世界一周の旅に出たのだけど、途中で立ちよったフィリピンで殺されてしまったのだ。
だから、人類ではじめて世界一周に成功したのは彼の部下たちになる。
マゼランは高校の世界史でこう習う。
マゼラン
部下による世界周航を成功させたポルトガルの航海者。
(中略)
21年フィリピン諸島のセブ島に到達したが、現地での抗争でマクタン島首長のラプラプに殺され、22年世界周航を達成したのは、彼の部下18名であった。「世界史用語集 山川出版」
マゼラン(ウィキペディアから)
彼は「世界一周に成功した人」ではなくて、「(部下に)世界周航を成功させた人」という扱いになっている。
このマゼランを殺害した人物は分かっている。
フィリピン人の「ラプラプ」という人。
友人のフィリピン人に「ラプラプ」について聞いたところ、彼女はこんなことを言う。
「彼はフィリピンの最初のナショナルヒーロー(国民的英雄)よ。侵略者とたたかってフィリピンを守ったのだから」
このフィリピン人の言う「侵略者」とは、ポルトガル人のマゼランのこと。
ボクはマゼランを「大冒険家で英雄のような人物」と思っていたから、「侵略者」という言葉に少し驚いた。
でもフィリピン人の立場からしたら、マゼランは侵略者でそれを倒したラプラプは英雄になるんだろう。
ウィキペディアにもそんなことが書いてある。
マクタン島の戦いで破り、マゼランを討ち取った。フィリピンでは民族の誇りを守った国民的英雄とみなされている
フィリピン人にとってマゼランは「侵略者」。
でも、ポルトガル人の評価はちがう。
前に見たテレビ番組では、ポルトガル人かスペイン人が「マゼランは世界の歴史を変えた偉人で、とても勇敢な人物だ」なんて話していた。
ヨーロッパ人の見方からしたらそうだろう。
ポルトガル人やスペイン人からしたら、マゼランは勇気ある冒険家で歴史を変えた偉人でもある。
でも、マゼランに対する見方が違うからといって、「フィリピン人とポルトガル人が対立した」なんて話は聞いたことがない。
フィリピンとポルトガルは遠く離れていて、接点がほとんどない。
それにお互いが、自分の見方を相手に押し付けることはしないだろう。
「オレの見方が正しい!おまえは間違っている!」なんて言うと、相手と対立してしまう。
イタリア人のコロンブスと韓国人の安重根がまさにそんな人物。
続きは次回に。
おまけ
友人のフィリピン人はラプラプを「フィリピンの最初のナショナルヒーロー(国民的英雄)」と言っていた。
彼女の話では、いまのフィリピンの国民的英雄は「ホセ・リサール」だと言う。
ホセ・リサールはスペインに支配されていたフィリピンを解放するために、命をかけて独立活動をおこなっていた人物だ。
リサール(José Rizal)
[1861~1896]フィリピンの民族的英雄。文筆活動によって、スペインの統治改革や民衆の意識覚醒に専念。フィリピン民族同盟を結成したが流刑とされ、のち扇動者の容疑で処刑された。
デジタル大辞泉の解説
ホセ・リサールは日本に来たこともある。
そして、「さるかに合戦」に興味をもった。
その交流を通じて日本に対して好意的な印象を持ったリサールは翌1889年にロンドンで日本の民話「さるかに合戦」とフィリピンの民話「さるかめ合戦」を比較した論考を著している
ずる賢いサルをスペインに、かわいそうなカニをフィリピンに重ねていたりして。
ちなみに、「フィリピンで一番有名な日本人は?」とフィリピン人に聞いたら、「もちろんヤマシタ!」と言っていた。
なんのヤマシタさんかは、この記事をどうぞ。
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